時間は、外に流れていなかった。~時間の概念~

アシタスタイル井手口です。
子どもの頃、「花とゆめ」という少女漫画雑誌がありました。お友達がそれを学校に持ってきて、みんなでこっそりと回し読みをしました。花とゆめの中にある「ガラスの仮面」という漫画が好きで、大人になってから、妹が、ガラスの仮面を1巻から買い揃え始めたので、もれなく私もご相伴に預かりました。
この漫画、50年ほど経った今も連載が続いていて、しかも、未だに未完成なのです。
以前の私は「なぜ完結させないのかな?」「早く終わらせればいいのに」と思っていました。
でも、事業主になった今は、その逆で、「もしかしたら、完成させないつもりなのでは?」と。
いわゆる「未完の美」を実践されているのではないかな?と思ったりするのです。
* * * * *
「それ」を産み出し、
創り始め、
築き続けると、
「それ」はどんどん拡がり、
面白くなってきて
夢中で深掘りをしていく。
たまに
「あ!ゴールだ!」と思って
着地しようとするけれど
そこはゴールどころか、
新たな旅の始まりであることに気がつく。
何度も。
何度も。
ゴールと思いきや、
スタート地点に立つ。
そして
やがて
「あぁ。この世界は終わりがないのだね」と、アシタスタイルを産み、創り始め、築き続けた私は、気がつきました。
始まりは、終わりで、終わりは、始まり。
たとえ1つの命が終わっても、命の営みは絶えず、新しい命は産まれ、この先も続いていきます。
この世界が、宇宙が、いつからか始まって、今なお続く、想像もできないほど果てしなく長い「命」の旅路の途中で、私なんぞ、その一瞬にも満たないのだと、思ってしまう。
* * * * *
さて、ガラスの仮面で印象に残っているエピソード。
主人公のマヤが、「奇跡の人」の舞台で、ヘレン・ケラー役のオーディションで、役を掴む為に、師匠の月影先生の元で猛特訓をするシーン。
このエピソードが面白くて、興味深くて、私もヘレン・ケラーになってみようと試みたことがあります。
え?
もしかしてあなたも?!
そうですか!そうですか!やりましたか!仲間ですね!笑
耳栓を詰めて、眼の上から鉢巻をして、さらに包帯でグルグル巻きにしてね。
いやー…眼が見えないことは、想像を絶する大変さでした。慣れた家なのに、壁伝いでしか移動できないのです。
音は、耳栓をしても完全遮断できなくて無音にならない。でも「聞こえないんだけれど、よく聴こえる」みたいな妙な感覚です。
特に、自分が出している音。
脈拍と心拍。
食べ物を咀嚼し、水を飲み込むと喉の筋肉の動きや水の流れまでが見えるように、骨を伝ってくる。
匂いや臭い。
手指が触れた何かの触感。
気配。動き。振動。
住み慣れたはずの小さな部屋の中が、たちまちに膨大な感覚の海となり「五感を研ぎ澄ます」を体験し、実感しました。
そして、そこに流れる時間は、私が知っている時間とは明らかに違う流れでした。
音が消え、光が消えた瞬間、世界は、静かになるどころか、逆に、ものすごく濃く、近く、長くなりました。
時間が、驚くほど長く感じられたのです。
後に知ったのですが、これは決して特別な体験ではありませんでした。
全盲聾の女性であり、思想家・作家でもあったヘレン・ケラーは、時間についてこのような感覚を語っています(※趣旨の意訳です)。
私にとって時間とは、
時計の針が
進むことではありません。
皮膚に触れる空気の変化、
身体の温度の移ろい、
空腹や満ち足りた感覚、
そして何より
胸の内で打ち続ける
心臓の鼓動。
そのリズムこそが、
私に
「世界が今も生きている」
ことを教えてくれます。
* * * * *
光も音もない彼女にとって、時間とは「外から流れてくるもの」ではなく、内側で確かに刻まれていく、「生きている」の証しでした。
実際、現在の研究でも、全盲聾の人たちは「身体時計」を使って、驚くほど正確に時間を感じ取ることが分かっています。
鼓動、呼吸、体温、空気の湿度、外気温、眠気、女性の生理など、それらが重なり合い、「今」がどのくらい「経ったか」を教えてくれるそうです。
視力や聴力を失うと、時間感覚が失われるどころか、むしろ身体は、時間に正直になるのですね。
私が興味本位だけで、耳と眼を塞いだあの日、世界がとても長く感じられた理由も、きっと同じでした。
見るもの、聴くものに気を取られなくなった分、私は初めて「生きている時間そのもの」を、身体で味わっていたのだと思うのです。
ヘレン・ケラーは、こんな言葉も残しています(意訳です)。
光も音もない私にとって、
時間は、
永遠に流れる川では
ありません。
それは、
私の胸の中で静かに、
しかし確実に
刻まれ続ける鼓動の連なり。
その一つひとつが、
私がこの世界を
生きている証なのです。
* * * * *
私たちは普段、「忙しい」「時間がない」と言いながら、本当の時間を外側にばかり求めているのかもしれません。
でも、時間って、もともと、身体の内側にあったもの。
そう思い出すだけで、世界の流れ方は、少し変わる気がします。
先日のブログで、身体のリズムを整えると、体調が良くなるよ!身体が絞れるよ!という話を書きましたが、井手口の身体の中には、確かに時計が存在しています。
目覚まし時計に頼らずとも、夏場は5時前に、冬場は6時に、パッと目覚めます。洗濯機の終了メロディが鳴る直前が判ったりとかね。まぁその割には反面、余裕かましててボーッとしてて遅刻しそうになるのもよくあるんですけどね。(汗)
つまり。
何が言いたいかって「身体を尊重しようね!」です。
便利に頼って退化してしまいがちな本来の身体のチカラを、できるだけ失わずにいたいなと。
地球に今、確かに存在し、続いてきた1つの命として、これから選択する道を、決して間違わないようにしたいな。と。
だって、ほら?
「脳」は欲望のままに暴走するし、身体を支配しようとするじゃない?笑
間違わない「カラダ」に、主導権を握らせていれば、良いんじゃないかなって思いません?
だって、ほら?
野生で暮らしている命たちは、間違うことなく、今も地球と共存していらっしゃるから。
ということで
人間の私、これからも身体の可能性を、諦めません。
2025年の今年も、アシタスタイルへ、たくさんのお気持ちをお寄せくださりありがとうございます。
ご来訪くださり、ご相談を頂き、ありがとうございます。
ご信頼頂き、お任せくださりありがとうございます。
応援してくださり、ありがとうございます。
サロンからお帰りになる時に、笑顔を見せてくださって、ありがとうございます。
たくさんたくさん、お世話になり、ありがとうございます。
あなたのお役に立てて光栄です。
2026年も、あなたを笑顔にするために、井手口精一杯働きます!
変わらぬご愛顧を賜りたく、どうぞ宜しくお願いいたします。
最後までお読みくださりありがとうございます。
それでは、また!







