母に嘘をつく娘
井手口です。
画像は、先週東京で見つけた「長崎産・芝エビ」!
今日は塩茹でにしよう。明日は殻のまんま唐揚げにしよう。と、想像するだけでヨダレが出てくる…♪直ぐに食べない分は剥き身にして冷凍しておこう♪と、多めに入手してきました。
実家の父へ電話して「お母さんは~?」と電話口へ呼び出します。
「ママ~♪雅恵でーす。ちょっと教えて欲しいことのあるとけど」
「なぁに?」
「東京でね、長崎産芝エビの売っとたとよ。」
「あら!珍しかね!」
「そいでね、いっぱい買ってきたと。今夜は、塩茹でにしようかなって。お母さんよく塩茹でやら唐揚げやらに料ってくれよったたい?」
「うん。芝エビ美味しかもんねぇ♪まーちゃん大好きやったでしょう。」
「うん!大好き!でね、お母さんに聞きたかことのあって電話したと。」
「何やろか?」
「塩茹でするときってさ、お水からじゃなかよね?お湯ば沸かしてから茹でるよね?」
「そうそう。エビの塩茹では、グラグラに沸かしたところに入れんばよ。水から茹でるのは魚のアラばおつゆにするときよ。エビばお水から茹でたらダメよ。」
「やっぱりそうよね!うん!分かった!お塩ってどのくらい入れれば良かと?」
「どのくらい?って…そうねぇ…小鍋やったら大さじ一杯くらいかなぁ?入れてみて、舐めてみたらどうやろか?足りんやったら足せばいい。塩が利かんと美味しくなかもんね」
「そうやろ?塩梅の難しかろ?」
「塩梅はねぇ。お母さんいつも、適当にやりよったからねぇ。よし!じゃあまーちゃんも自分なりにやってみようー!エイエイオー!」
「アハハ!そげん応援されたら、はい!じゃあ張り切ってやらんばいかんね。今からやってみます!ガンバります!応援宜しくお願いします!明日はね、唐揚げばするよ。」
「唐揚げ良いわねぇ♪唐揚げは美味しいねぇ。お父さんも唐揚げ大好き!」
「お母さん、揚げ物上手やけんさ~、私もガンバるよ!」
「うんうん。やってみたら?火傷せんように気を付けてね。」
「ありがとう。また報告しまーす!」
そんなやり取りを終えて電話を切り、芝エビの塩茹でを食卓に並べ、ビールを飲みながら夫にも一連の報告。
翌日、また、実家へ電話。
「ママー!雅恵です。昨日の会話、覚えとる?」
「あら、まーちゃんね。エビの塩茹ででしょう?覚えとるよ。上手に出来た?」
「うん。お母さんのおかげで美味しく出来た!ちゃんとグラグラに沸かしたお湯の中に入れて茹でたよ。塩も利かせてね!」
「それは良かった。美味しい食卓でしたねぇ。」
「うん。おかげでビールのいつも以上に進んだよ!ありがとう!」
「アハハハ!そりゃ飲み過ぎてしまうねぇ」
「そうさ!まだまだ飲みの足りんけんね!今日は唐揚げにして、ビールばいっぱい飲もうと思いまーす!美味しい芝エビの唐揚げの作り方ば教えて~ママ!」
「あらあら!それじゃあね…油はね…」
と、こんな感じで娘なりの努力。
お気づきでしょうか?
我が母は、アルツハイマー型認知症。
それなのに、昨日話したことを、ちゃんと覚えていたんです!
父と兄に母の状態を訊ねると「あんまり変わらんばい。」「ひどかときはひどかし、良かときは良かし。」と言う。
ひどいときの母は、鬼の形相で悪態をつきます。
死にたくなるようなおぞましい記憶ばかりが母を支配している様子で、鬼になっている時の母は、近づく者、皆、敵だ。
だから、せめて母にとっての得意なことで、嬉しい!楽しい!な喜び体験を増やして、一瞬でも幸せな気分に浸って欲しいし、そんな印象的な記憶が残せれば悲劇的な記憶の割合が減るんじゃないかなぁ、って思うんです。
母へたくさん話をして、たくさん頼って、たくさん甘えて、生き甲斐を失くしてしまっている母に、仕事を与えるようにしています。
娘として、できること。
以前は「心配かけないように」と振る舞ってきたんだけれども、近頃は真逆です。困ったことを話したり、悩み事を相談したりするようにしました。
きっと、親にとって子どもは、ずっと、子どものままだから、母に元気でいてもらう為に自分ができることは、「この娘のためにも、まだまだ自分がしっかりしていなきゃ!」と思ってもらうことだと思ってね^^
もしかしたら母は、こんな私の胸の内や企てに気が付いているかも知れないないのですが、別に、それでもいいや。と思っています。
話す機会が増えるんだもの。
母の顔が鬼婆じゃなくなるんだもの。
私の知る優しい笑顔に変わるのならばそれでいい。
優しい世界の中で生きていて欲しいと、切に願う。
普段は「ママ」なんて呼ばないのだけれども、これも演出のひとつです。
エビの調理法なんて、わざわざ母へ訊ねなくても自分でできるんです。
でも、こんな時こそ使うのが【嘘も方便】だと思うんです。
井手口の家族記事はこちら→母が教えてくれた認知症という病気の正体