母が教えてくれた認知症という病気の正体①緊急事態発生

代表ブログ

2019年4月16日の記事です

アシタスタイル代表・井手口です。

私の発信を楽しみに待っていてくださる皆様。ご無沙汰してしまいごめんなさい。緊急事態により、生活が一変しました。この問題は非常に根深く、私一人では、到底、解決できそうにありません。



本題です。
認知症の母を東京へ連れて帰ってきました。

去る2019年3月18日。福岡出張講座の後、長崎の実家へ帰省した際に発覚した衝撃の事実に直面し、「さて、これからどうしようか…」と日々、考えながら過ごしています。

それまで実家へは、定期的に電話をしていました。父とも話をしていましたし、母とも話をしていました。兄とも弟とも話していました。家族みんなで仲睦まじく、うまくやっているとばかり思っていました。が、それは、対外的でした。上っ面の仲良し風味な家族でしかなく、特に、両親の関係が最悪でした。

結婚して家を出て姓が変わった人間としては、実家の状況を外側から客観的に見ることが増えて、およそ冷静な目で観察しています。

認知症の母が家族と暮らす様子を半日ほど見ていて、母の様子が明らかにおかしい。無意識に私の口をついて出た言葉。
「お母さんさ、私が戻るときに、一緒に東京に来る?」

「うん。行きたいです。」「行っていいの?」と、母は言いました。


今までの母なら、誘っても「いいよ、いいよ」と、遠慮していたのに、今回ばかりは「行く!」の即答と「お父さん、行ってもいい?」と、すぐさま、自ら父へ、交渉をした。

母を、父のもとから、エスケープさせることにしました。

母連れで帰ることを夫へメッセージ。続けて我が会社へ、スタッフ宛にメッセージ。「母が来たいというので、母を連れて上京します。母を一人では置いておけないので東京へ戻ったら、会社へ一緒に出社することになります。宜しくお願いします。」

これからここへ綴ることは、私の家庭問題ではなく、私の両親の関係性だけでなく、日本中の多くの家庭、日本社会で起こっている深刻な問題だと思います。その問題とは男尊女卑。人間の根っこに蔓延り終わることのない性差別。常に勝負で相手を負かしたい男という性に虐げられる女性の叫びでもありました。


また、認知症は社会問題でもあります。人生100時代と言われますが、それは、使わずに消耗しないことで長持ちしてしまう肉体と認知できなくなるほどの溢れまくっている情報社会で、体の中で起こってしまう乖離症状だと、私は感じています。大切な人とのお付き合いの方法を、今一度自分の身に置き換えてみて、これらは決して他人事ではなく、自分の身に起こることだと考えながら読んでいただきたいなと思います。


第一章から、かなりの長編です。

facebookで少し発信していたので、時系列も含めて、書いていきます。

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長崎滞在一日目
2019/3/18  13:30

博多駅から長崎駅へ向かい、
父と兄が、車で迎えに来てくれる。

実家へ帰る途中、
ドラッグストアへ立ち寄ってもらい、
母に似あいそうな色のマニキュアを購入。

男三人の中で女一人。
唯一おしゃれ心があるのは
身体の自由が利かない弟だけ。

身体の自由が利くのに、
父も兄も、
全く身なりに気遣う人ではないから、
母のおしゃれ心を満たすことなどできなくて

きっと、
「おしゃれしたい」
「新しい服が欲しい」と
言いたくても言い出せずにいるであろう母へ。

もしかしたら

認知症の病状が悪化し、
粗相しているかもしれない。

恥ずかしくて言えないままに
汚した下着を隠してしまい
使える下着が
無くなっているかも知れない…

そんなことを考えながら

母に会える時にはいつも、

娘の私にしか理解できない
母のオンナゴコロと、
女としての誇りを、

身綺麗にしていたい想いを

満たしてあげたいと思う。
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母と過ごすときは一緒にお出かけして、下着や服、お化粧品の新調をしたりします。女はどんなに年齢を重ねても、死ぬまで女。女の身繕いは身だしなみです。女の性(さが)というものです。

「清潔」と「清潔感」が同義語と思っている鈍感な男たちには、きっと、一生わからないこと。
 

オンナはオトコのためでなく、己のモチベーションのために化粧するのだ。

オンナであるために、身綺麗にする。

顔へのお化粧って、自分の目では見えないけれど、爪ならいつも目に入るから。爪をきれいにピカピカに磨いたり色を付けるだけで、母は、たったそれだけで、笑顔を取り戻し、急速に機嫌が良くなる。母のご機嫌を一本360円の瓶でカンタンに手に入れる方法。

透明感のあるピンクのマニキュア

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長崎滞在二日目
2019/3/19 10:00

アルツハイマー型認知症を診断した
医師のもとへ、
母に付き添いクリニックへ。

予約していた診察日で
タイミングよく、
医師との面会も叶いました。

40代前半くらいの男性医師。

母の愚痴は、留まることがない。

父への、父の兄弟への、姑への、
恨み辛みを永遠に繰り返す母に対し
医師は、

病の当事者である母の話に耳を傾け
寄り添うというより父の味方という印象。

認知できず理解不能になった人間からの
止まらない攻撃にガマンしながら
同居する父の
ストレスや心労や苦悩に対しての
良き理解者、

という印象でした。

医師は私へ
「お父さんは、真っ直ぐで
正義感が強い人だからね。」
と言った。
「先生。父も疲れ果てているし、
母もストレスを抱えているから
私が東京へ戻る時に、
母を一緒に連れて行きます。」

そう医師へ告げると

「そうしてもらえると僕も助かります。

お母さんを施設に入れることも
話していたところだったから。」

母本人がいる前で、何の配慮もなく言った。
えっ?母を施設へ入れる?
そんな話が進んでいたの???
私は驚き、愕然とし、同時に、

そんな大切な話を
父からではなく、
医師から告げられたことが、
ひどく哀しかった。

肝心なことを肝心な時に話さない。
面倒くさいことを後回しにする。
やりたくないことを他人にやらせる。
都合が悪くなると黙る。
そして、通らないとキレる。
昔からずっとそうだった。
父の、悪い癖。
でも母は、
そんな父の悪癖すらもすべて受け入れ
支え続けた人でした。

最も貢献しているのに
いつも母は、蚊帳の外でした。
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東京へ戻ってきてからはとにかく、母を冷静にさせることを心がけました。母を笑顔にするにはどうしたらいいか?ばかりを考え、行動しました。母は、遠慮ばかりで、自分の意思を通すこともなく蔑ろにしてきたからです。だから「自分で選ぶ、自分で決める」をやってもらうことにした。母自身に「どっちがいい?」を訊ね「好きを選ばせる」ことを、何度も何度も繰り返しました。朝ごはんには、せとかや、はるみなどの、果汁たっぷりの柑橘を、目の前でカットして、香りを嗅いでもらったり、淹れたてのコーヒーの香り、や出来立ての食事の匂い、焼きたてパン屋さんの前の匂い、私の香水を纏ってもらって、自分を好きな香りで纏うことなど新しい脳へではなく、本能的な古い脳へ【香り】を使って刺激をアプローチしました。(その昔アロマテラピーを勉強したのがめちゃくちゃ役に立ちました!)香りを嗅ぐたびに母は、鼻を近づけ「わぁ!いい匂い!」と。頬を薔薇色に染めて大喜びした。だけど、そんなゴキゲンは、ほんの一瞬で。やっぱりネガティブが止まらなくて、来る日も来る日も、目に涙を浮かべながら、父への祖母への恨み辛みを放出し続けた。

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2019/3/28  23:00 

facebookへの10日ぶり投稿。

アルツハイマー&膝痛、77歳。
一人で置いておけないし
直ぐ膝が痛くなるから
準備も移動にも超絶時間がかかる!

母を連れて毎日同行出勤。

さすがの私も時間が足りない(笑)

こんな状況で改めて思う。

「自分が代表の会社作って良かった!」

理解と思いやりの日々。

愛ある社員と
愛あるお客様には
感謝しかありません。

心より
ありがとうございます!

社長業って、
ウチみたいな零細企業でも
マジで、滅茶苦茶大変。

だけど

社長になった後悔は
実は一度もなくて

続けようが
辞めようが
会社を成長させようが
会社を畳もうが
すべての決定権は私にある。

私は私の一番大事を最優先します。

大切な人を大切にできない人生なんて
私が望む人生じゃない。

どんなに高い志を掲げても

そんなの嘘っぱちにしか思えない。

苦労とか大変なこととか
誰にだって幾らだって、ある。

それを表現するときに
お涙誘う悲壮感たっぷりの
シリアス仕立てより
笑いに変えた方が面白いんじゃね?

同じ力を使うなら
自分だけスッキリするより

見る人を
聞く人を
どれだけ楽しませられるかに
変えた方が良くないか?

人生は、ネタ集め!!!

この悲惨な状況をクリアし
感情を昇華し
どんだけ笑いに変えられるか!

泣かずに眠れるの、10日ぶり!

母も私も笑顔でお布団に入れる!

お布団フカフカ♡

あ~幸せ♡

おやすみなさーい。
facebook

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この日は、10日ぶりに枕を濡らさずに眠れた、この投稿をした日は夫の夕食が要らない日だったので自宅へ帰る途中で、母と二人で飲みに行ったんです。帰宅途中、初めは「早く家に帰ってゆっくりしたい」と言っていた母ですが、道すがら「ねぇねぇ、お母さん。おしゃれなお店があるよ。こんなところでご飯食べたり、お酒飲んだりしたことある?」と尋ねたら、行ったことないという。「興味ある?」と聞く。「うん、興味ある」という。「行ってみたい?行ってみたくない?どっち?」と聞くとしばらく考えて、「行ってみたい!」というので「じゃぁ!飲みに行こう!」と、お店へ立ち寄りました。飲んだことがないきれいな色のお酒。聞いたことがない食べ物の名前。若々しい店員さんたちのハツラツとした声が飛び交う店内。私にとっては馴染みがあっても、母には、それらぜんぶが新鮮で、キラキラしていたみたいでした。
何もかもが、刺激的。

お店自家製のサングリアを母へ。私はシャンパンをグラスでいただいて乾杯!「美味しいねー」「いい香りねー」「素敵なグラスねー」嬉しそうにサングリアを口元へ運ぶ母。酒場という場所は、たくさんの人がいて、いろんな人が同時に話しているから、わいわいがやがやしています。そんな中、話そうとすると、まぁまぁに大きな声を張るわけです。大きな声を出すと気持ちが良いのよね。スッキリするのよね。10日前から何度も聞き続けた話だけれど、また昨日と同じように母が話したいことを話させて「うん。うん。」と相槌を打ちながら聞き入る。 少しお酒も入ると楽しそうに話してくれる。お店の人も、気さくで、とても親切で、杖を持っている老齢の女性を、丁寧に扱ってくれるものだから母、どんどん上機嫌になるのです。お店の人に、自分から話しかけたり、冗談を言ったりして、たくさん笑っていました。

軽い食事でもうお腹いっぱいだというので、ほんの一時間半ぐらい過ごしただけでしたが帰りの電車ではぐっすり眠って自宅へ戻ってきての第一声。

「あーー!楽しかった♡」
だったんです。

こんな笑顔を見たのは、本当に久しぶりで、その後も、いろいろとあって来る日も来る日も泣いている母に、ずっと付き合っていたから。私の方が、母の笑顔で救われた。この日の母の笑顔は、太陽みたいだった。いつも笑っていた大好きな以前の母の顔だった。

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2019/3/31  8/25

facebook投稿。

認知症の母を承認し続ける毎日は
修行のようです。

どんなに共感しても
どんなに同調しても
無かったことにされていく。

正論が通るわけもなく
意見しても、響くわけがなく

ましてや
否定などすれば
倍返しで直接攻撃を受けるという
www

【他人は写し鏡】

リアルバージョン。

だから

ただ、事実だけを伝える。

私の解釈は、
母の解釈と別物として
取り扱うことにして

私の中から湧く想いを
面白がることにした。

「お化粧をしたい」と言うので

「はい。じゃあ、手を広げて」と

化粧水を母の手のひらに落とすと

嬉しそうに顔に伸ばしていく。

「はい。次はファンデーション」

左の手のひらに
リキッドファンデーションを乗せると
右手の指で2色を混ぜ

自分でお顔に乗せようとするけど
厚くなりすぎるようだったから

「私がやってあげようか?」
と声をかけると

「うん。」と言って

眼を閉じて、
私の方へ顔を向け
やってもらうのを待っている。

母の頬へ薄くファンデーションを伸ばし
茶系のペンシルで眉を書き

窪みくすんでしまったアイホールへ
ブラウンと淡いピンクを
グラデーションで乗せていく。

チークをさして

「お母さん。眼、開けていいよ。」

「鏡、見てごらん。」

眼を開けた母は、

「わぁ!」と言って

両手をほっぺに当て
嬉しそうに鏡を眺めている。

「じゃあ、最後に紅をさしましょう。」

口紅を手渡すと鏡を見ながら
リップを自分の唇へ丁寧に乗せていく。

「どう?」

ちょっと首を傾げて、私の方を見る。

可愛い!

「うん。キレイですねー
とっても可愛いです。」

久しぶりにお化粧した母は
ほんとうに美しかった。

ニコニコ微笑む母を見ていたら

懐かしい映像が脳裏に浮かんだ。

それは、
鏡台の前に正座して
お化粧を施す母を眺めていた4歳の私。

それはあなたが私へ与えてくれたこと。

同じように
同じ分だけ
お返ししているだけだ。

母がゴキゲンで嬉しい。

だからますますの私のゴキゲンを選ぶ。

私は子育てをしていないから
なかなか解らないけれど

我が子の愛しさって
こんな感じなのかなって思った。

腹が立ち、
イライラもするけれど
愛しさの方が勝っていくのでしょうか?

あのとき、こうすれば良かったのかも…
後悔はきりがありません。

でも、今、

母は私の目の前にいて、生きている。

まだまだ。

まだまだだ。

瞳に全く生気がない母

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2019/4/1  8:00

facebook投稿。

【僅かばかり生還】

2週間前

「死にたい」と言っていた母。

病気って何だろう?

「病は気から」といいますよね。
だったら気を変えれば良いじゃない?
って思うんです。

少しずつ回復しています。

カメラを向けたら
こんなに笑ってくれました♪

笑った!

御天道様のおかげ。

青空のおかげ。

富士山のおかげ。

満開の桜のおかげ。

春のおかげ。

ぜんぶ、母が大好きなもの。

母は富士山が大好きです。

ドライブへ連れていってくれた
夫のおかげです。

会社へ連れていっても
嫌な顔ひとつせず
優しく関わってくださった
スタッフのみんな、

お客様皆様
関係者皆様のおかげです。

辛抱強く

粘り強く

根気強く

諦めずに母を信頼し続けた私のおかげ。

何よりも
母が母をゴキゲンにしたおかげです。

3/18に長崎で会ったときは

ストレスフルで三白眼
父への攻撃を止めない鬼の形相でした。

思考が停止していました。

会話が成り立たず
室内をウロウロと徘徊していました。

担当の医師からは
「施設へ入れることを考えた方が良い」
と言われていました。

生気が消失していました。

あの日、3月18日が
遠い昔のようです。

少しずつ。

少しずつ。

会話が成立します。

記憶が戻ってきました。

ありがとうございます。

ありがとうございます。

ありがとうございます!

まだまだ

私はゼッタイに諦めないからね~

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2019/4/1  20:00

facebook投稿。

笑顔を取り戻した母ですが
相変わらず毒舌炸裂。

一切愚痴を溢さず我慢してきた
77年分の鬱積を晴らすかのように

認知症を利用して77年分の毒吐きは
壮絶極まりないっす。。

言いたいことを言わずに
イイ人を演じてると
こんなことになりますから

今「他人に嫌われないように…」と
イイ人演じている人は、
早く本音を吐き出しましょうねー

正直に生きた方が
自分も周りも幸せですよー

命があるのに死んでいるような顔つき


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2019/4/2   12:00

facebook投稿。

繰る日も繰る日も
眠り続けています、母。

私が出社する際、サロンへ
一緒に連れてきています。

新宿御苑の満開の桜を眺めながら
「キレイね~」
「ずっと見ていられるね~」
と、言うので

ずっと見てていいよーと
スワンチェアに腰掛けてもらって

日向ぼっこしながらスイソニア。
酸化している体内を水素還元。

放っておくと眠りこける。

もうかれこれ 3時間寝ています。

今まで、どれだけ
熟睡できていなかったのだろうか…

子どもの頃、
若い頃、ってさ
誰からも起こされずにいたら
私たち、何時間でも眠れたでしょう?

実家で過ごした時間を
改めて思い返してみると

母が私よりも先に寝たのを
見たことがないし

私よりも後に母が起きてきたのを
見たことがない。

昼寝している姿を見たことがない。

だらしない格好を見たことがない。

丁寧に
キチンと暮らしていた人です。

これからは
誰かのために生きるのではなく

母自身の人生を送ってほしいと願う。

(新時代が後押ししてくれるんだな)

新元号令和。

レイ=ゼロ。わ=輪。

○と○で ∞。

こりゃ、可能性しか、ないね。

お母さん。
長年虐げられてきた女性が
尊重される時代が来たよ。

ていうか

スゴいよ、母!

この姿勢で 3時間、
微動だにせず寝ています。

頭がグラグラ揺れることもなく
コックリコックリ船をこぐこともなく

ぶれずに姿勢を保っている
体幹の強さに驚きです!

体幹、強っ!!


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2019/4/3  20:00

facebook投稿。

【時の概念】

母の歩みに合わせると
移動時間が2倍かかかります。

だけど、

不思議と
支障は、なんにも起こらないのね。

私は社長業も接客業も行っているし

妻業の家事も、行っています。

時間は減っているのに

時間が充実しています。

ゆっくり歩むと

むしろ

最優先事項や

最重要案件が

クローズアップされる。

不思議です。

私の歩みは

まだまだ

速すぎるのかも知れないな。

「急がば回れ」を体感中。

もっと休もう。

ゆっくり進もう。

「膝が痛い」と愚痴りながらも
なんだかんだで
最低8000歩は、歩いている母、

正確に述べると
私と一緒に移動するから
無理やり歩かされているのですが
www

フィジカルもメンタルも、
かなり強靭。

あの時代を生き抜いた
先輩方へは尊敬しかありません。

母、どんどん元気になっていく。

私の概念が、覆されていく。

自宅近くの満開の桜の木

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2019/4/4  12:00

facebook投稿。

愛することよりも

愛していることを
相手へ伝えることの方が重要だね。

もう何百回聞いたか
カウントできないほど

同じ話を

何度も

何度も

ずっと永遠に繰り返す
母の愚痴を聞いていると

父も

母も

互いに相手を想い
愛しているのに

伝わっていなくて
空回りしてるんだな。

そんな想いが湧いてくる。

お母さん。

私ね、その気持ち、

スッゴく分かるよ。

私もね

伝えたいのに

上手く伝えられなくて

相手を傷付けてしまったり

相手を悲しませてしまったこと

たくさんあるから。

歯痒いよね。

悔しいよね。

哀しいよね。

淋しいよね。

でもね

大丈夫だよ。

言葉が邪魔してるだけだからね。

心の中で、そう呟いて

私は

なんにも言葉にせず

黙って母を

ギュッと抱き締める。

幼い私に

母がしてくれたように

私もそうするだけだ。

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「老いる」とは「還る」。

愛しい人との愛しい時間。かけがえのないたった一人の大切な人。母と手を繋いで歩く時間が愛しくて堪りません。かつて母が幼い私への手を取りそうしてくれたように、私も同じように、そうする。

その愛しさはかつて私へ抱いてくれたもので今もなお、抱き続ける想いなんだろう。きっと、親って、そんな生き物。たくさん話しながら一歩ずつ。一歩ずつ。ゆっくりゆっくり歩む道。

「可愛いね~」道端に咲く可憐なお花を見つけては、足を止め「可愛いね~」赤ちゃんを見つけては足を止め「可愛いね~」幼い子を見つけては手を振り「可愛いね~」「可愛いね~」愛嬌を振り向きながら、道草。今年77歳の人にとっては何を見ても、可愛くみえるらしいです。そんな母が、幼子みたいで可愛いです。

母は今年50歳になる私をつかまえて「可愛いまーちゃん」「甘えん坊のまーちゃん」と言う。私がどんなにオバチャンになっても私が生意気に憎まれ口を叩いても母にとってはヨチヨチと一生懸命歩いていた頃の私。言葉を覚えていた頃の、必死で母を追いかけていた2歳~4歳の可愛いまーちゃんなんだって。そっか!そうなのか!!!だったら、それ、間違いなく可愛いわね♡あはは!

幼い私

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あきちゃんが、言う。「社長の人たらしは、ママ譲りだなw 」毎日みんなでゲラゲラ笑っています。ご来店くださったお客様の皆様が言ってくださる。「雅恵さんが倒れないようにしてね」「ガンバらないでね」「無理しないでくださいね」私の体調を気遣ってくださること、会いに来てくださること、心より感謝申し上げます。有難うございます。まぁ、ボチボチやります。(о´∀`о)母、主体的に動くようになりました。鼻歌を歌っています。病気って、何だろう。。。

さてと。
母が落ち着いたところでいよいよ父と話をしよう。

つづく。


母が教えてくれた認知症という病気の正体②父への手紙