母が教えてくれた「認知症」という病気の正体③母の願い
2019年4月19日の記事です
【連載記事】
母が教えてくれた「認知症」という病気の正体①緊急事態発生
母が教えてくれた「認知症」という病気の正体②父への手紙
お父さんへ。
2019/3/20 に、お母さんを東京へ連れてきて、4週間になろうとしています。お母さんの変化と現状をお伝えしますね。
私は、まず最初にお母さんの話を、聞き続けました。
当時のお母さんは目は吊り上がり、恐ろしい鬼の形相で、暴言を吐き続けました。
怖い顔つきと、汚い言葉によって繰り返される同じ話を何百回も3日3晩全く否定せず、一切反論せず、ただただ受け入れ、聞き続けました。
母を、承認し続けました。
その途中の2日目に私の口から、お母さんへ「アルツハイマー型 認知症」という病気であることを、ちゃんと、告知しました。
✔️認知症には種類があること。
✔️お母さんの脳が委縮していること。
✔️お薬を処方されていること。
✔️アルツハイマー型の特徴。
✔️お年寄りに限らず若い年代の人でもかかる病であること。
✔️お母さんが、今、どのくらいの状態なのか?
✔️飲んでいるお薬の種類、役割について
など。
3日間、話を聞き続け、3日目の夜に、「お母さんは、どうしたいの?」を、徹底的に聞きました。
正直なお母さんの気持ちがもうすぐ出てきそうで核心に触れそうなのに「でも・・」「だって・・」の言葉でなかなか本音が出てこないから「お父さんがどう思うか、じゃなくお母さんは、自分が本当はどう思い、どうしたいかを、教えてほしいの」と言いました。
そう尋ねても、やっぱりお母さんからの答えは「でも・・」「だって・・」になるから「そっか。じゃあ、もうやめよう。明日にしようか。私、今からお風呂に入るね」と、時計を見たら 23:45。母を、私が普段寝ているベッドの部屋に連れて行き「おやすみなさい」と、声をかけ、私はお風呂へ。
いつもより、長めに湯船に浸かりゆっくり体を緩めたりしてお風呂から上がって、浴室の時計をみると 0:40。母がいる部屋には、まだ灯りが点いたままで部屋を覗いたら、背中を丸めてうつむいて小さくなった母がチョコンとベッドの淵に腰かけていました。
ビックリして「お母さん!風邪ひくよ!もしかして、私のこと、待ってたの?ごめんね、眠っててよかったのよ。寒かったやろ?さぁ、横になろうか」そう言ってお布団で、身体を包みこんだら堰を切ったようにボロボロボロボロと涙を流し始めました。絞り出すような声で身体を震わせながら必死に私へ訴えてきました。
「結婚してから、歯向かったこと、なかとよ。ほんとよ。一度だって、口答えしたことなかとよ。ほんとよ。ずっと我慢してきたと。ガミガミ怒鳴られても、黙ってきたと。耐えてきたとよ。おしゃれもできんやった。無駄遣いなんてしたことなかとよ。自分のシャツ一枚も、黙って買ったこと、ないとよ。ずっと家に縛り付けられてくくりつけられて出かけたくても、出かけられんやった。おばあちゃんからは、一度だって昌子さんって名前で呼ばれたこと、ない。ずっと、あんた、あんた、ってあんた呼ばわりされて「あんたの世話になんかならん!」って、いじわるばっかり言われ続けたとよ。毎日毎日ガミガミガミガミ怒鳴られてきていじめられてきてずっと、ガマンしてきたと。お父さんには、言えんやろ。あの人に言い返すことなんて、できんやろ?気性が荒くて、口答えなんかしたらなんていわれるかわからん。もう、よかさ。私なんか。死んでしまいたい。山の奥の方に、ひとりで死にに、行くよ。」
そうやって、泣きじゃくる母はどんどん小さくなっていった。小さくなっていく母を、私はずっとぎゅっと抱きしめ続けた。このまんまどんどん小さくなっていって、そのまんま、消えて居なくなってしまうんじゃないか、と思うほど、小さかった。
「お母さん、ツラかったね。 哀しかったね。ガマンしてきたね。いっぱい泣いていいけんね。私が、お母さんの気が済むまでお母さんの話、ずっと聞くけん。いいよ、ガマンせんでいいよ。ぜーーんぶ、吐き出さんね。」母の背中を擦りながら、私もボロボロ泣いた。
お母さんは『外に出たい』『一人で自由に出かけたい』って言いました。
束縛から解放されたい。と。
この前、中学の時の同窓会に行けたことが、よほど楽しかったみたいで、同級生の人たちとの会話や同級生の名前や思い出話を何度もしてくれました。同窓会のお誘いがあった時、お父さんに「行ってきてもいいかな」と尋ねたら「行けばよかやっか!!」とキツく言い放たれたと、心を痛めていました。
ほんとうは「良かったね。同窓会に誘ってもらえて良かったね。声かけてもらえて嬉しいね。楽しんでおいで!」と、優しく、気持ちよく送り出して欲しかったと言いました。だから、せっかくの同窓会で、二次会へのお誘いもあったそうですがお父さんに気兼ねして、行きたい気持ちを抑えて一次会だけで帰ってきたそうです。「最後の同窓会だったのに・・」と何度も、何度も、悲しそうに繰り返し私へ告げてくれました。
【お母さんの切なる願い】
「おい!黒潮市場にいくぞ!」といきなり言われて出かける支度をしていたら「なんばぐずぐずしよっとか!!」と、怒鳴られるのが、とても怖いそうです。せめて前日から「明日は黒潮市場に行ってみようか?」と予め教えてほしいそうです。 心の準備が欲しいそうです。予定を教えてもらっていても、当日には忘れるかもしれないから昨日と同じことでも朝から同じように、優しく告げてほしいそうです。
例えば「今日は、黒潮市場に行ってみようと思うよ。〇〇時くらいに、出かけるけんねー」と教えて欲しい。それから、出かける時にはジャージでは嫌なのだそうです。着替えて、髪をとかしたい。せめて、口紅くらい付けさせてほしいです。
せっかくお父さんが朝から入れてくれたコーヒーだから、ゆっくり味わって飲みたいそうです。コーヒーを飲み終わってから、出かけたいそうです。様々な予定や行事について、あらかじめ話して欲しいそうです。
(私から改めてのお願いです。お父さんにとっては、すでに決まっている予定や、当たり前のスケジュールかもしれないけれど、新しいことが記憶できない今のお母さんにとっては、常に「初めて耳にすること」です。だから、記憶は期待しないでください。)
「鯵のうまかごたんなぁ。こいば刺身にせろ!」そんな風な言われかたをすると、「自分で包丁握って、自分でやってみろ!」「作ってやるもんか!」と思うそうです。手をかけて心を込めて一生懸命お料理を作ったのに、「ごちそう様。」「ありがとう。美味しかった。」そんな一言がないことが悲しいそうです。
市場で魚を買ったときも、昔、お父さんの趣味で釣りに行った後でも魚を捌くのも、クーラーボックスを掃除して片付けるのも、全部、お母さんがやるのが当たり前になっているのがおかしい。お母さんがやるものだと、黙ってやらせられることに、腹が立つそうです。お母さんは、別にやりたくない訳じゃなく、やらない訳でなく、やりますが、「お刺身を食べたい。」「料理をしてほしい。」など、自分ではできないことを他人にやってもらうのであれば「私は料理ができません。だけど、お刺身が食べたいから、料理して作ってもらえませんか?」と相手へお願いすること、頼んで、頭を下げることが大切だと思っています。
相手が、自分の苦手を代わりにやってくれて、助けてくれたり、望みを叶えてくれたら「ありがとう」「助かったよ!」「美味しかったよ」「嬉しいです」「ごちそうさまでした」そうやってお礼を言うのが大人というもの。
黙ってやらせて、お願いもしない。
許可も得ないで自分勝手に進める。
お礼も言わない、感謝が見えない。
「挨拶をしようね。ありがとう、ごめんなさいを、素直に言えるようになろうね。」そうやって子どもたちには厳しく言って躾けてきて、お父さんがやっていないのはおかしい。させられる身になってみれば想像ができるはずだと言っています。
「アルツハイマー型認知症のこと、ちゃんとお父さんから話して欲しかった。」と悲しそうに言いました。自分の病気のことを一切告げられずに、いきなりクリニックへ連れて行かれて、検査されたり、テスト受けさせられたり、薬の説明もされずに、無理やり飲まされるようになり、不安でたまらなかったと言いました。
とても、混乱したそうです。
それから、「結婚してから、私はずっと ”かごの鳥” だった。」と言いました。
「一人で出かけることを許してもらえなかった。」と言いました。
「あっくんのクラスでPTAの役員に選ばれたとき活動を通じて楽しかった。生き甲斐を感じた。もっと続けて居たかった。」と言いました。「ほんとうは、あの頃、手話を習いたいなぁと思ってお父さんに相談したけれど、いい顔をされなかったから、それ以上は手話を習いたい相談するのは止めた。」と言いました。
「最近はたぶん、ボケて、なにも分からなくなった人だと思われているんだろう。」と言っていました。
話も聞いてもらえなくて、ガミガミと言われるばかりで、頭の中が、ずっとパニック状態だったそうです。余りにもそれがツラくて、一人になりたかったから、外へ出かけて「帰るもんか!」と思い時間を潰したことがあったと教えてくれました。(←これって、たぶん、お母さんがいなくなった行方が分からなくなった!と皆で捜索した話のことかな?中学校の上のグランドのところで一人ベンチに座っていたという話を聞いたことがありますが、そのことじゃないでしょうか?)
ここまでノンストップで喋ったのよ、お母さん。
何十年もの思いを抱え込み溜めていたことを想像し、私は、胸が苦しくなりました。
お母さんは、泣くだけ泣いて、言いたいこと全部を私へ言って、イライラモヤモヤを吐き出したせたんでしょうね、ようやくスッキリした顔になりました。
「お母さん、寝ようか」と声を掛けたら「うん。まーちゃん、ありがとうね」と言って、眠りにつきました。
その日以降、少しずつ笑顔が出るようになりました。その次の週には、家事を手伝ってくれるようになりました。自分から髪をとかすようになりました。「お化粧したい」と言いました。家に一人で置いておけないので、私の会社へ、毎日、母を連れて一緒に移動しています。
毎日、8,000歩は、最低でも歩いています。正直なところ、膝が痛くて堪らないみたいだけど。でもお母さんにしてみたら歩かずにいて歩けなくなるのが嫌だ!と言い、痛くても歩くと、頭も体もスッキリするから歩きたい!と言っています。
私が思うに、お母さんが膝が痛くても歩くのを辞めないのは、お父さんに対する「意地」なんじゃないかな。
頑張りは、達成感に繋がるのよね。
その達成を、私が傍で見守っていて、ちゃんと褒めるから、なおさら嬉しいんだと思います。
自分でやると決めたことを、自分がやり遂げられることが、自信につながることだから。
少しずつ。
少しずつ。
お母さんは前を向くようになり、次の週は、自発的に自分で身支度するようになりました。寝間着にしていたジャージを脱いで、お出かけ服へ着替えるようになりました。
私がやろうとして置いたままのシンクの中の食器は、いつの間にかお母さんが洗ってくれていて、食器も磨いてピカピカにしてくれる。洗い終わった洗濯ものを、かごに入れて置いておいたら、いつの間にか外へ干しておいてくれる。取り込んだ洗濯物は、何も言わないのに畳んでくれる。そんな風に変わりました。
母ができていたはずのことは、確実に少しずつ減っていて、それでも自分ができそうなこと、得意なことは、進んで手伝ってくれる。私は母に対し、期待せずに一緒に過ごしていることもあって、期待していない分、腹が立つこともありません。
お母さんの話はね、同じことばかりの繰り返しだけれど、話に広がりを見せることもあるよ。日によって、ニュアンスが変わるようになりました。
会社では、毎日、計算ドリルをやっています。それから会社で行う単純作業を手伝ってもらったりしていますが、明らかにミスが減ってきて学習能力が向上しています。
計算ドリルは、日に日にスピードアップしています。
お母さんは、認知症だけれど理解していないわけではありません。
ちゃんとわかっています。
人格も尊厳もある一人の女性です。
ただ短期記憶が怪しくなっており、記憶の上書きができません。
無意識に自分を守ろうとして小さな嘘をついてしまうこともあります。
それでもね、同じ話を何度も繰り返して話していることをちゃんと自覚してる。
どうして同じ話を繰り返してしまうのかと言えば、小さな世界の中で、限られた情報の中だけで、生きてきたからです。
お母さんにはもう、その話くらいしか、ネタがないんです。
自分から話せる話題が、記憶に残っていないの。
だから、こちらから話題を作ったり質問したりすれば、当たり前の返答が返ってくるし、会話が成立するのです。
今、お母さんは、誰かに聞いてもらい、承認してもらい、吐き出して、スッキリしたいの。
・ムカついたこと
・腹が立ったこと
・イライラが解消できないこと
・褒められたこと
・評価されたこと
・嬉しかったこと
つまり、私たちとおんなじです。
正常な脳で、感じているのと同じ。
認知症じゃない人が感じていることと、おんなじよ。
認めてもらいたいの。
承認して欲しい。
肯定して欲しいの。
お父さん。
お願いがあります。
以前、お母さんと、お父さんが交わしたであろう約束を覚えていますか?
お母さんを幸せにする約束を思い出してほしいの。
昌子さんに初めて会った日のことを思い出してほしい。二人でデートした日のことを思い出してほしい。結婚式を挙げて神様の前で誓った約束を思い出してほしいです。
お父さんは、お母さんを幸せにする約束をしたはずなんだけれど、いま、果たせているのかな?って思っています。今のお母さんを見ていると、私からは、あまり幸せそうには見えません。とてもツラそうです。とても苦しそうで、とても悲しそうで、とても淋しそうで、たくさんたくさんガマンをしています。
お父さんの話をするときには目に涙をいっぱい溜めてときどき、泣きながら、話をします。
怖いそうです。
お父さんのことが、怖いんだって。
優しい声で話して欲しいそうです。
結婚したばかりのころは、優しい声だったと言っています。
認知症でわからないと思われているのかもしれないけれど、無視しないでほしいそうです。たくさん声をかけてほしいそうです。別に買い物しなくていいからウィンドウショッピングしたいそうです。おしゃれしたいそうです。お化粧したいそうです。新しい下着を買いたいそうです。
そんな風に言うんだけどね、私がお母さんの爪に塗ったマニキュアを見ながら、言うのよ。「お父さんがこんなの見たら、なんていうやろうか?『なんやそいは!なんばしよっとか!』って怒られるやろう」「お父さんが、口紅なんて付けてる今のこの顔見たら『どこに行くとか?!』って怒られるよ」と言います。
お父さんが、どういうか?ばかりを気にします。
結婚した時から、ずっと怖くて、ビクビクしていたそうです。ガミガミ言われることがツラくてあきらおじちゃんには相談に行っていたそうです。他には、誰にも言えなかったからって。あきらおじちゃんは、「昌ちゃん、黙っとかんね。ガマン、ガマン」というから、耐えていたそうです。愚痴りたくても言えず、気晴らしすることもできず、おばあちゃんからも、小姑たちからもいじめられ、友達を作ることもなく、趣味も持たず、出かけることも許されず、お母さんのこれまでの一生は、お父さんに、子どもに、と、家族のためだけに生きてきた人生だと思います。
だからね、お母さんは、あっくんが、支えなんだよ。
あっくんは、「おかあさん、ありがとう」「おかあさんのご飯、美味しいね」って、言います。歩けない身体で生まれて人に助けてもらわなきゃだから、どんなに年齢を重ねても、素直な心で、いつも周りとも、お母さんとも、関わっているからです。あっくんに必要とされることが、今のお母さんにとっての生き甲斐なんだと思うの。
お母さんは、妻である前に、母である前に、一人の女性なのよ。
お母さんは、メンタル(心)も、フィジカル(肉体)も、すごく強いから、ここまで我慢ができたのだと思います。
「おしん」そのまんまの世界だなって思うよ。
お母さんが強いられた状況を、普通の人がやれば、「鬱」になるか、皇后雅子様が患った「適応障害」など、心の病気を患うんだと思う。
心が風邪を引いたり、心がケガを負う状態です。
私が思うに、お母さんはきっと、我慢の限界を迎えて、長く続く緊張によるストレスから脳が委縮したんだと思います。鬱や適応障害ではなく、認知症という病気を選んだんだと思います。
お父さんに、構って欲しくて。
お父さんに、守って欲しくて。
お父さんに、大切に扱って欲しくて。
お父さんに、尽くして欲しくて。
お父さんに、忘れられたくなくて。
お父さんに尽くしたお母さんが、私たち家族に尽くしてきたお母さんが、尽くされる立場に変わる病気だと、私は思っています。
お母さんは、お父さんの所有物じゃないです。
お父さんのストレスのはけ口じゃない。
面倒くさいことを全部やってくれる便利な人じゃない。
お手伝いさんじゃないよ。
ママでもない。
お父さんが、愛した大切な女性だよ。
代わりはいないよ。
私はお母さんに、お母さんの人生の時間を、自分のために生きてほしいと思います。お母さんが心から望んでいる優しい世界の中で生きてほしいと思っています。お父さんは、どう、思う?
兄ちゃんが長崎に戻ってきてくれたから、家のことは兄ちゃんが全部やってくれていると思います。優しい兄ちゃんを、お母さんの二の舞にしないでね。兄ちゃんを、どうか、どうか、尊重してください。お願いします。
兄ちゃんは優しいから、お母さんと同じように「自分が我慢すれば丸く収まるから」と自己主張せずに、すべてを受け入れる人です。喧嘩したり、争いごとを好まない平和な優しい世界の人です。兄ちゃんが、今のままのお父さんと一緒に暮らし続けたらいつか心が壊れます。そういう人をたくさん見てきました。
お父さん、お願い。
お母さんに、安心、安全を感じてほしい。
お母さんの幸せを一緒に考えてほしいです。
お母さんの記憶が消えていくのを一日でも長く食い止めていたいです。お母さんの命の火が消える日まで私たちのことを、覚えていてほしい。そのためには、お父さんの力が必要なの。お父さん、助けてください。どうかよろしくお願いします。
大好きなお父さんへ。
2019/4/16 雅恵より。
追伸。あっくんが施設でいじめられて「死ね」とか「植物人間になれ」とか言われていたことを、お母さん、ひどく心配していました。お父さんが、所長へ直訴しに行ってくれたことを私から伝えたらとても安心していました。ありがとうございます。お母さんは、日に日に少しずつ、落ち着きを取り戻しています。会える日を楽しみに待っていてね。
つづく