母が教えてくれた「認知症」という病気の正体②父への手紙

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2019年4月18日の記事です

【連載記事】
母が教えてくれた「認知症」という病気の正体①緊急事態発生

井手口です。
母は、東京に来てからというもの、ずっと眠りこけています。放っておくと、昼でも、夜でも、何時間でも眠っています。

目覚めて第一声「あ~♪ ぐっすり眠ってた!オシッコにも起きなかった!ありがとうね~♪」

母が父と連れ添って50年。
もしかしたら母は、ぐっすりと熟睡できた日が、たったの一度もなかったのかものかもしれません。父のイビキは強烈で、騒音に近いです。どんな寝姿勢でもイビキをかいています。父本人もとても気にしていて、治す努力をしてみたらしいのだけれど、治そうにも治せなかった話を聞いたことがありました。

眠れないからお酒を飲む。入眠はできても、肉体はアルコールのせいで興奮状態だから、眠りは浅いまま。熟睡できないから身体が回復しない。万全でない体調は、無意識の不機嫌を招くという悪循環。

誰にも邪魔されない静かな環境で、安心、安全を手に入れた母は、今までの不眠を取り戻すかのように、ここぞ!とばかりに眠りこけています。認知症のお薬の影響もあるのかもしれませんがそれにしてもです。

母の脳、父の脳、いずれも完全に休まることがなくここまで来てしまっている。睡眠の改善は必須だなと思っています。最近、耳にする「睡眠学」。新しい分野での、自律神経の切り替えを促すウェアなどが注目されてきています。衣類で肉体を緩ませる方法など、締めるべきところを締め、緩ませるところは緩ませる【本来あるべき姿へ】アプローチする方が増えてきているのを目の当たりにすると、今後、アシタスタイルの活動もどのように展開できるか楽しみです。日本古来の衣服である着物の役割もフォーカスされ始めていますしね。おっと、逸れてしまいました。話を戻します。


愛知にいる妹へ現状報告。
情報を共有しその後、父へ電話をしました。
父の睡眠の質を上げる必要性を感じ、父にさまざまな方法の提案をしようとしていたら、言われたくないことを言われたからなのか「そげんうるさかとなら、オイが車の中で寝ればよかとやろうが!」とキレられた。

うーーーー。そういう話をしたいのではないのですが…。
これじゃあ、話にならない!!あ…話している途中で電話、切られた!!父の大人げない態度に、「あーー!!もう!!ムカつく!」と叫びながらブチ切れていたら、私の様子を横で見ていた母がポツリと言います。「まーちゃん。腹が立つだけよ。お父さんに言っても、ムダムダ~。」

お話にならない。でも伝えなきゃ何にも進まないし変わらない。どうしたものか?と考え「そうだ!手紙を書こう」と思いつきました。

父の娘になって50年目に父へ書いた手紙。
ぜんぶで便箋23枚。

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お父さん。
その後、体調はいかがですか?

先日の電話では、気分を害するようなこと告げてしまって、申し訳なく思っています。ほんとうにごめんなさい。体調が優れないときに、娘なんかに言われたくなかったよね。

お父さんは、いつもBESTを尽くしていること家族のことを一番に思っていること一生懸命でいてくれること、私がうっかり、忘れてしまったせいです。深く反省をしています。

話すと感情的になってしまったり解釈の違いが生じたまま擦り合わせがなされないままにお互いの思いだけが空回りします。事実が明確にならず気持ちがすれ違ったまま話が決裂したままでは、なかなか前に進めないので手紙に書くことにしました。

まず初めに伝えたいこと。
私は、お父さんと、喧嘩をしたくはありません。
お互いを責め合ったりしたいのではありません。
私は、お父さんと、話し合いがしたいです。
お互いが思っていることをちゃんと理解し合いコミュニケーションを図りたいです。

これは、私だけじゃなく、母も兄弟妹みんなが同様に感じているはずです。
この苦しみをみんなで解決して幸せになるためにみんなが笑顔で過ごすにはどうしたらいいか話し合いたいです。

お父さんは、この前の電話で「自分が口下手である」ことを自覚していたよね。実は口下手なのは、お父さんだけじゃなく、私も同じです。そして、うちは家族全員が、そうです。というのも、そのような脳の特徴を持っているからです。

(脳の特徴は、顔の造り、顔立ちに現れます。うちの家族は全員、言葉が足りない口下手の脳の特徴をしているの。この話は長くなるので、なぜそうなのかは、改めて別の機会に教えますね)

私も、喋ることが苦手です。だけど、それじゃ生活ができないし、言葉が足りないことで他人様を傷つけたりご迷惑をおかけするから、一生懸命、言葉の練習を重ねました。Kさんとお付き合いを始めたくらいから日記をつけて、頭の中を整理したり文字を書き出すことによって、自分の思考を目で見て確認する練習をして伝える方法を身に着けしました。だから、喋るよりも書く方が、ストレスがありません。

さてお母さんの認知症は、たぶん(私の憶測でしかないですが)おばあちゃんが亡くなったあと、おじいちゃんをひとりで置いておけず、うちへ連れてきたあたりから、すでに、初期症状が出ていたと思います。

あの頃の私は、「あぁ。お母さんも、ようやく、自分が思っていることを口に出せるようになったんだなー、愚痴がこぼせるようになって、良かったなぁ」と、その程度にしか、感じていませんでした。いま、改めて振り返るとそれまで以前のお母さんは、いつも穏やかで、優しくて明るくて、笑っていて、お父さんに対して反抗的な態度なんて一度だって見せたことがなかったから。

認知症の初期症状の特徴の一つである「性格の変化」です。

人格が変わってしまったかのように暴言を吐くことや、厳しい顔つきに変わっていたからね。あの頃は私も、実家を離れたタイミングだったし、もし、あの時、まだ実家を離れずに一緒に暮らしていたなら、もう少し早めに、お母さんの変化に気が付けたのかもしれないな…と。後悔しても仕方がありませんが、思い返したりもします。

とはいえ、過去に戻ることもできませんし、今、できる限りの精一杯で、これからどうしていくのかを考えていきたいです。家族みんなで、一緒に、考えていきたい。

1年前に、お父さんが、兄ちゃんへ電話してくれて、兄ちゃんに帰ってきてほしいとお願いして、兄ちゃんが長崎に戻ってきてくれてくれたこと、本当に嬉しかったです。心の底から感謝をしています。ありがとう、お父さん。

兄ちゃんも、ゴールの見えない病気の身体では毎日しんどいし、相談したり、寄り添ってくれる人もいないところでずいぶん寂しかったと思います。自分から家を出ることを決めた手前、プライドもあるでしょうし、増してや、30年務めた会社を辞めるなんて、なかなかできることじゃないと思います。

「帰って来て、オレを助けてくれ」そうやってお父さんが頭を下げてくれたから、兄ちゃんは素直になれたんだと思います。時々、兄ちゃんに電話して「体調どう?元気?」って尋ねると「うん。まぁまぁかな。毎日笑っとるよ。みんなとたくさん話せて楽しいし、嬉しい。」って言っていました。


19歳~49歳まで離れていて、なかなかできなかった男同士・大人同士、ようやく父と息子の時間を取り戻せるのかなぁ…なんてね。女の私には、オトコゴコロは想像できないけれど。

難病になって、会社へも気を使い、会社の人たちからも、友人たちからも敬遠されていた兄ちゃんにとって、実家へ帰ることができた喜びも、また、私には計り知れません。

お父さんだから、わかること。長男同士だから分かり合えること。二人でたくさん話せているといいなぁと思っています。

私の方は、東京で、時々、てっちゃんと会っています。てっちゃんも、私も、大人だしね、てっちゃん、子ども二人いるし、仕事も代表だし、相変わらずのてっちゃんは、責任感が強くて、ますます真っ直ぐで正直な人だなと思います。お母さんが東京へ来てから、てっちゃんに会いに連れて行きました。(今、ちょうど、私の歯をてっちゃんに作ってもらっているところなので、その度に情報交換したり、私の仕事のことも知ってくれています)

てっちゃんとは二人で飲みに行くこともあります。お母さんに「てっちゃんのところへ行くけど、お母さんも来る?」って聞いたら「てっちゃんに会いたい」と言ったので、てっちゃんのラボへ、一緒に行ったよ。

てっちゃんを養子に出してしまったことを、ずっとお母さんは負い目に感じていて、てっちゃんから恨まれていると思っていたと、てっちゃん本人に話していたんだけど、てっちゃんは、いざ自分が親になってみて、自分が産んだ子を100日目でよそに出すなど、お母さんがどんな思いだったか理解できるから、と言いました。

「オレが幸せになればいいとやけん。オレの姿ば見れば、親たちは嬉しかやろうし、喜んでくれるって思うけんさ。一生懸命、元気に仕事して、オレの生き方で証明しようって思うばい。」そんな風に言いました。

私たち以上に、うちのことを考えてくれています。自分の育ての親だけでなく、パートナーの親のことも、親戚全員のことも、同じように大切に考えてくれているのがてっちゃんだと思います。

おとうさん、あのね、てっちゃんは近頃、私のことを「姉ちゃん」と呼んでくれるようになったよ。最初は、「まーちゃんのこと、姉ちゃんって呼んでよか?」って照れくさそうに私に聞いたけど、もちろん!!!つて即答したよね!!嬉しかったです。 

お母さんが負い目に感じていることは、もうひとつあって、歩けない身体で生まれたあっくんのことです。そんな負い目があるから、お父さんに言いたくても、言えなかった。ずっとガマンをしていました。

では、そろそろ、本題へ。

これからは、お母さんの話です。

つづく。
母が教えてくれた認知症という病気の正体③母の願い