人生に行き詰った時に、取り組むと良いこと

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足と歩行の未来開発ラボ、代表の井手口です。

先週、アシタスタイルは、クローズドの出張で、新潟・新発田へ出向いていました。

初見のご挨拶から数えるとまもなく1年が経ちます。もう既に6回目の訪問となりました。お求めくださり嬉しいです。ご贔屓賜りありがとうございます。

地元に根付いた美容室BASARAさん。
オーナーさん、スタッフさん、お客様、お客様のご家族、ご友人、それぞれの皆様が昔から知る古いお付き合いの中、お互いを思い合いながら長い時間をかけて信頼関係を紡いで来られたのだなぁと、皆様のあったかいお人柄に触れる度に、ホッコリしみじみしている井手口です。


さて。
私はこのような他人様の優しさや温かさに触れると、決まって思い出す自分の黒歴史があります。
ツラくて苦しくて哀しくて恥ずかしい記憶だから、思い出したくもないんだけれど、勝手に浮かび上がってきます。健全な自分を保つためにも、生涯、決して忘れちゃならない過去の事実を、自戒を込めつつ綴ります。


体調が最悪だった頃のかつての私は人生に行き詰っていました。

人の優しさや、人の温かさとは無縁の世界に住んでいました。

体調だけでなくメンタルも最悪。何をやっても上手く行くどころか全くの逆で、もがけばもがくほど網に絡まり、進めば進むだけ、ますます道に迷い込む。負のスパイラルへと自ら落ちて行く。人生のどん底へから抜け出せず、暗闇の中を這いずり回っていました。気持ちにも、懐にも、余裕がないから、他人様に優しく接するどころか、暴言吐きまくり、八つ当たりしまくり。喜怒哀楽大放出で、他人様を傷つけ、自分も傷つけズタズタ、ボロボロ、人生最悪記録を更新する日々でした。

そんな当時の自分を、今、客観的に観察すると、思慮の浅さからくる不躾な言動。幼稚さからくる身勝手な振る舞い。いわゆる「アダルトチルドレン」でした。身体は大人なのに、自分の中にいつも、癇癪を起し暴れまくっている幼女がいました。

「あの人のせいだ!」「私は悪くないもん!」「どうして私ばっかりこんな目に合わなきゃならないの?」自分を自分で制御できていなかったし、自分で自分の言動の責任を取らないし、稚拙である自覚もなかった。

あぁ。。恥ずかしい。。。穴があったら入りたい。。。

そうやって、人生に行き詰っていた私が、そこから抜け出せたきっかけは、ある人との出会いです。

その人から教わったのは「俯瞰すること」でした。

自分を俯瞰する。
家族を俯瞰する。
状況を俯瞰する。
物事を俯瞰する。
   
人は、渦中にいると、
自分のことが見えなくなるから
渦に飲まれている自分を
外から見る目線を育てて、
「私は渦に飲まれているね」と、自覚しよう。
   
(なるほど。)と、納得した私は、俯瞰できるようになるために何をしたら良いかな?と考え、(よし!日記をつけよう!)と思い立ったのです。


その日から「1日の終わりに日記を書いて翌日読み返すこと」に取り組み始めました。


毎日、毎日、日記をつけていくうち次第に見えてくる、大きな2つのこと

・起こったこと(事実)
・感じたことや考えたこと(解釈)

がありました。
    
自分が書いた日記を読み返すうちに、自分を、相手を、状況を、俯瞰できるようになっていきました。

俯瞰できるようになってくると見ている世界が変わりました。

自分の感情を味わいました。
自分の想いを大切にするようになりました。
自分の考えを深めるようになりました。

自分という人間を、自分が良く知り、理解するようになりました。



人が抱える悩みの90%は、人間関係の悩みだといいます。


他人様と良好な人間関係を築くためには、相手の性格や特徴を知る事が必要だと思いますが、それ以前にもっと大切で必要なのは「相手を知る以上に、自分が自分の性格や特徴を、良ーーーく知ることではないのかな?」と。
     
     
日記をつけながら、自分の想いを書き留めていくうちに、気付いたことがありました。
   
私は私をよく知らなかったんだな。
私は私の気持ちを蔑ろにしてきたんだな。
私は私を育てて来なかったんだな。と。
 
  
子どもの頃の私は、可愛げのない子どもだったと思います。

どこか冷めていて、ぜんぜん子どもらしくなかった。大人が喜ぶから大人が褒めてくれる「物分かりの良い子」を演じていたからです。

色んなことが一通り他の子よりも早く上手に器用にこなせたから、色んな一等賞をたくさん貰っていて当時は「私は最強だ!」と自信満々でした。

少し大きくなると己の正義感を振りかざしたり偉そうに知ったかぶりをし一丁前に大人に意見したりするようになりました。

幼児期に必要な我儘をちゃんと言って、しっかり我を通し叱られながらも納得していく、そんなプロセスを経て「自我」を芽生えさせていれば、肉体と心はいつも一緒にいて、互いを思い合える仲良しで、大人になって行けたはずなのにね。

私はそれを選んでこなかったから生きづらかったのでしょう。

やってこなかったことに気が付いたので、大人になってから取り組みました。

そのおかげで、私にとって「書くこと」は自分に必要不可欠な作業に変わり、現在に至っております。


俯瞰する力を養うと、事実と解釈が分類できてきます。
絡まった糸が解けてきて思考の整理ができます。
冷静で居られます。


そっか。
私は私を尊重していないから他人様を尊重できないんだ。
私は私を愛していないから他人様を愛せないんだ。


人に優しくできないのはなぜ?
心にゆとりがないのはなぜだろう?


そっか。
私は健康じゃないんだな。って。


日記をつける度に、気づき、毎日のように泣いていました。

もう決して戻れない過去の自分の言動への後悔と反省。
傷つけてきたたくさんの人たち。
自分を自分で痛めつけてきたこと。
懺悔の涙。

 
不誠実な生き方をしてきた私が、そうやって少しずつ、人としてあるべきはずのまともな感覚を取り戻しながら、時同じくして取り組んだのが、「健康になること」でした。


健康になりたくて、さまざまな健康法に取り組む中で辿り着いたのが「足」でした。


やっぱり
「地に足を着ける生き方」って
ほんとうに重要だと思います。


あなたが今生きづらさを感じているならば、日記をつけることをオススメします。

自分という人間を観察し、分析し、攻略するためにも。
同じ失敗を何度も繰り返さないためにも。
心身共に、健全であるためにも。
幸せになるためにもね。

 
日記をつけるのと同時に、足を整えることをオススメします。


足と歩行の未来開発ラボアシタスタイルは、足を躾ける日本式フットケア。
ドイツ式ではなく
アメリカ式でもなく
英国式でもなく
タイ式でもなく
台湾式でもなく
中国式でもない。
日本の生活様式に根差した日本人のためのフットケアです。


日本の習慣や文化はそのまんまが「健康法」でした。

アシタスタイルで着物に纏わる講座を行っているのは、日本に脈々と受け継がれてきた、日本人として大切な「在り方」が日本の民族衣装である「着物」「下駄」「足袋」に込められているからです。

日本文化には、全部、意味がある。

そんな「意味」を体験し先人が作った「仕組み」を理解しながら「日本ってすごい!」「身体ってすごい!」「私ってすごい!」と感動して欲しい。長く不調の渦中にいる人が、失ってしまっているであろう自分に対しての信頼と誇りを取り戻して欲しい。と願いながら足の仕事をしています。

足の仕事をしていると、毎日、人が根っこに持っているほんとうの優しさや温かさに触れます。

その度に、私は冷たい世界に住んでいた頃の私を思い出し、過去の自分自身を反面教師にし、考えることがあります。
  
  
よく言うじゃないですか?
「人は自分の人生のシナリオを書いて生まれてくる」
みたいなこと。
  
  
12歳で外反母趾になって、そこから不自由な身体になっていったのは、私が私を、まともな人間へと戻すためだったのかな?

あの人と出会ったのは、私を人の道から外さないためかな?

体調が最悪になったのは、アシタスタイルを創るために必要な経験を積ませるためかな?
ってね。

体調の悪さや、忙しさは、本来の優しくて温かい自分から自分を遠ざけて行きます。

その状態が当たり前のように長く続くと、不調の自分が当たり前になるけど、ほんとうは、そうじゃない!

不調は、当たり前じゃないんです。


かつての私がそうだったように機嫌の悪い人は総じて「不健康」です。
対して、人生が上手くいっている人は体調が良いのです。

健康で、幸せで、豊かで、いつも笑っています。


自信とは、自分への信頼です。
信頼とは、自分を信じ、頼ることです。

だから、自分が自分へ頼れるよう、足を強靭に鍛えて、頼りがいのある自分の足へ安心して自分を託しましょうよ。

自分を歩かせてくれる足と一緒に、しなやかに、軽やかに生きましょうよ!

身体と心の健康を取り戻し、自分をゴキゲンにしましょうよ。

幸せは、健康とニコイチです。

問題から抜け出すには「自分を俯瞰する力を磨くこと」。それを教えてくれたのは当時の彼、現在の夫です。アシタスタイルがあるのは夫のおかげでもあるんです。Kさん。いつもありがとう。


最後までお読みくださりありがとうございます。
それでは、また!