嘘つくのを辞めた人たち
2018年3月19日の記事です
井手口です。
兄が、先月、30年勤めた会社を辞めました。
自分に嘘をつかずに生きると決めた結果の行動です。
今日は「嘘」について思うことを綴ります。
いつもより少し長いブログですが、最後までお付き合いくださると嬉しいです。
世の中、正直ブームが起きていて
「心に正直に生きよう」とか
「自分に正直になろう」とか、
日々のfacebookを眺めていても
自分の心の声に素直になり
発言や行動を起こす方が目立ってきた印象です。
私自身もそうでして、
対外的にこう見られるからとか、
体裁を気にしてとか、
社長だからとかよりも、
「本当は、こうしたいから。」という
私の心の声に素直に従って
行動をしています。
小さな嘘も
大きな嘘も
嘘は嘘です。
交わした約束は、契約であり、
その約束を破ることは契約違反になる。
もしそれが、法律に触れる事なら
罰金や懲役が課せられる事件になります。
「私は正直だ」
「嘘などついていない」
多くの人が信じて疑いませんが、実は、
人は、毎日、嘘をついて
生きているんだよってことに、
気づいてほしい今日の日記です。
………………………………………………….
日常的に見かけることが多い、
10歳男子とお父さんの会話。
「ねぇパパ!
ボクの運動会、見に来られる?
リレーの選手に選ばれたから、
ぜったい応援に来てね!」
「そうか!やったな!おめでとう!
毎日走る練習していたからね。
努力が実を結んだなぁ!
よし、わかった。
必ず応援に行くから。
ベストを尽くしなさい。」
そして、運動会当日。
「ごめん。仕事でトラブルだ。
応援行けなくなった。」
当然、
男の子は、父親を責める。
「応援に来るって約束したじゃないか!
パパの嘘つき!」
信頼する父親に、
約束を破られ
号泣の末に
この経験から男の子が学ぶことは1つ。
「約束は破っても良い」
「僕も嘘ついて良い」
「だって、パパもそうしたから」
……………………………………..
親が我が子へ「つい」
言ってしまったほんの些細な契約違反も、
嘘には変わらない。
他人から金品を騙しとる詐欺も、
嘘から始まる犯罪です。
「隣人を愛せよ」の宗教を選択し
契約したはずなのに、
平気で他人の悪口を言う。
またさらに、
その宗教で謳う「愛」を無視し、
戦争をし平気で人を殺すのも、嘘。
小さな嘘も
大きな嘘も
嘘は、嘘。
大人がつく嘘を
子どもたちは
どんな思いで
聞いているのだろう?と思うのです。
人は嘘をつく生き物。
自分の真心を、常に確認しなきゃ。
真心を忘れる頃に
ヒトは再び
過ちを繰り返すことになります。
だから、毎日、自分へ問う。
(私は、私の心に正直ですか?)
…………………………………………
天知る。地知る。己知る。
「まーちゃんの顔は、
おじいちゃんにそっくりねぇ。
おじいちゃんは、身体の弱かったからね、
お母さんが結婚する少し前に
病気で亡くなってしもうたけど
おじいちゃんがね、
お母さんにいつも、言いよった言葉のあるとよ。
『てんしる。ちしる。おのれしる。』
まーちゃん。
天はね、いつも見とるよ。
地は、いつも見とるよ。
自分は自分のこと、ずっと見とると。
おじいちゃんが生きとったらね。
会わせたかったね。
おじいちゃんっ子やったやろうねって思うよ。
おじいちゃんはね、
簪(かんざし)職人さんで、
長崎の芸子の御姉さんたちに
簪作ってあげよったとよ。
まーちゃんの手先の器用さとか、
おじいちゃん譲りって思うとよ。」
母の優しさや思いやり、
亡くなった祖母の言葉かけ、
叔父、伯母の、言葉づかいに触れると、
祖父がどんな人だったかは、想像に難くはない。
天 知る。
地 知る。
己 知る。
これは、母が、事あるごとに
私へ伝えてくれていた言葉です。
アルツハイマー型認知症になる前までは。
何かある度に、この言葉が
私の脳内にリフレインする。
母が授けてくれた、大切な言葉です。
他者を欺き
バレないように
上手に嘘をつけたとしても
自分は嘘をついた自分を 知っている。
だから
嘘は、他人へ対してついているのではない。
自分に嘘をついているんです。
正直さは、誠実さそのもの。
真心を尽くし
誠実であり続けることは
人としての最大スペックです。
それこそが嘘をつかない事。
自分に正直に生きる事だと思います。
(本当はこうしたいのに…)
(素直になれなくて…)
(思っているのに、言葉がうまく出ない。)
その私の心を、
私の言葉を用いて、
素直に、相手へ、伝えられているでしょうか?
意地を張っては、いないでしょうか?
…………………………………………….
2018年2月28日。
私の兄は
19歳~49歳まで30年勤めた会社を辞めました。
名だたる大企業の子会社へ就職が決まり
高校卒業と同時に、長崎を離れました。
当時の私の印象は、半ば、
厳しい父からの逃避だったようにも感じました。
兄は、10年前くらいに腎臓を患い、
体調を崩し入退院を繰り返していました。
特にこの2年は、
ほとんど働けずにいたようでした。
私は2月の九州出張仕事の後に、
長崎の実家へ立ち寄ってきました。
スタッフあき子が
「社長、最近、ご実家へ帰られています?
帰省出来ていないんじゃないですか?
出張後に時間を作りますから、
長崎へ寄ってこられませんか?
ご家族へ元気な顔、見せてきてくださいよ」
そう言って、
スケジュールを調整してくれたのです。
(あきちゃんありがとう)
長崎の実家は
認知症の母と、
自立歩行が出来ない車椅子移動の弟。
一人で日常生活が送れない二人を
父は、必死で抱えていました。
電話では、ほぼ毎日のように話をしていたのですが、
父の身体は、悲鳴をあげていました。
神経痛で動けない。
痛みで身動きが取れない。
歩けない。
「救急車を呼んで、ブロック注射を…」
とも考えたけれど、
痛み止が切れたら、痛みはまたぶり返すから、
根本的に取り除かないと意味がないから、と。
私が実家へ到着した時、
痛みの限界値を越えました。
父の足元を見ると、
履き口が開いた無残な靴。
形が崩れた靴は、
靴としての構造が崩壊し
靴が靴の役割を果たしては、いなかった。
父が気に入って履いていた靴は、
2年ほど前に私と一緒に選び
私からプレゼントした靴でした。
「お父さん!この靴が原因!」
「そうやったか。履きやすくてさー
コレばっかり、毎日履いとったっさね」
「すぐに新しい靴に買い換えよう。
今から靴屋さんに行こう。
足が崩れて身体の土台が崩壊しとると。」
そう言って、新しい靴を2足購入。
脱ぎ履きしやすいよう
ジッパーが付いた紐付きのスニーカー。
足を見て、インソールを作成し、
2足共に装着。
「はい。この靴履いて、立ってみて」
「おおーそうか、そうか。
なるほど!立っとった方が痛くない」
「でしょ?そうそう。身体で分かるよね?
私たちの姿勢は、足で立つことがニュートラル。」
横になったり、
座ったりした途端に、
骨の配列が乱れるけんね、
それで、途端に痛みが出ると。
だけん、横になって起き上がろうとするときが
一番痛みが強く出るやろ?」
「そうなぁ~。
朝の起きがけの時が、一番うずくもんなぁ」
「お父さん、しばらくの間、家の中でも
インソール入れて靴履いて、
ずっと立っとった方が良いと思うけど、
そうする?」
「ほんとなぁ、そうなぁ!
よし!そげんしよう♪
膝の痛かーって言いよったときの
お母さんの杖、まだあったろう?
貸してくれんか?」
「お父さん。固まってるお尻周りの筋肉や、
痛むときにつりそうになる脚の筋肉、ほぐそうか?」
父の身体に触れ、
施術をしながら
足の構造のこと、
靴と足の合わせ方、
靴の履き方のこと、
身体の仕組みのこと、
なぜ今回、こんなにひどい神経痛が出たのか?
身体に触れながら二人で話し、
一つ一つ確認しながら
原因を探っていきました。
原因は明らかでした。
・最近は毎日雑用に追われて、車ばかり乗って、
ほとんど歩けていなかったこと。
・毎週行っていた体操教室に通えていなかったこと。
・疲れはてているから、お酒飲んだら眠くなり、
寝る前にやっていた腹筋運動や、足こぎ運動、
上体反らしなど、全くやれていなかったこと。
父は、若い頃、
柔道の先生をしていたこともあり
感覚的に、身体の仕組みが解るので、
自分のケアは自分独自の体操で、続けていて
その延長で、
弟のリハビリもやっている。
弟が毎週通っているリハビリ担当PTさんや、
担当Drからも、褒められる腕前らしい。
さすがだ!!
そんな父だから、
痛みの原因が何だったのかは、
直ぐに理解してくれた。
私が長崎へ滞在中の三日間、
結局、父は、
寝るとき以外ずっと3Dインソール入りの靴を履き、
しっかり足を整え、壁と杖で身体を支えながら
ご飯を食べるときも、
テレビを観るときも一日中、
立って生活をしました。
そうするうちに、
徐々に、痛みが退いていきました。
「まーちゃんの言ったとおりになったなぁ!
スゴいなぁ!」
「二足歩行の身体は、
立つ、歩くが、基本姿勢やけんね。
ねぇ、お父さん。
若い頃、地下足袋で大工仕事しよったでしょ?
いつも雪駄で、過ごしよったでしょう?
柔道は畳で裸足やもんね。
靴って、道具やけんさ。
道具って、大事やろ?
道具の取り扱いを間違えると、まずいやろ?
履き方や、靴の構造のこと、
全く知らんで履いとったら、身体ば壊すと。」
「ホントなぁ。
『なんとかと道具は使いよう』っていうもんな。
来てくれて助かったばい。
まーちゃんの仕事ぶりにも、
感心したし、
まさか靴が壊れとるとは…
気づかんやったなぁ。
仕事、がんばれな。
お父さんも応援しとるけん!」
「私ね、夢があると。
長崎の夜景がだんだん淋しくなってきよるたい?
山の上の方に住んどった人たち、
あ、私たち家族もそうやけど、
歩くのが大変になって
山の上の方に住まんごとなったら
山の上の灯りが無くなって
夜景が変わってしまうやろ?
長崎の人たちの足元を元気にしたい。
昔みたいに、
坂道平気。
階段なんて当たり前!って
山の上まで平気に登れる人ば
たくさん増やして、
長崎の夜景、昔以上にキラキラに輝かせたいと。
出来るって思う?」
「素晴らしい発想やなぁ!おう!
出来るぞ、出来る。
賞味たった二日間で、
ずいぶん楽になったもん。
オレもまだまだ自分の足で
歩かんばいけんって、
心底思うた。
歩くのは、自分のためたい。
あっくんも、近頃は、
言葉のスラスラ出るごとなったろ?
装具ば付けて、スローター押して
60mも歩けるようになってさ、
ガンバりよるもんなぁ!」
「諦めたら、終わりやもんね。
ねぇ、お父さん。
兄ちゃんに電話して、
助けてもらったらどうかな?
昨日、電話で話したけど
会社にはまるまる2年行けてないとって。
向こうにおっても、働けんとやったら、
肩身も狭かやろうし
会社の人ともほとんど交流しとらんみたい。
誰とも話さずに、
いつも体調悪くて役に立てない自分って、
私もちょっと経験あるけん想像つくけど
兄ちゃん相当淋しいって思うとさ。
生きている意味とか、
自分の価値とか、考えてしまうし
毎日、生きるのがツラいだけやもん。」
「そうか。
病気分かったあの時、長崎へ帰ってこいって、
オイが言えば良かったなぁ…
電話してみようか。
(電話かける)
オレからの電話に出てくれるやろうか。
あ~、やっぱり出らんばい。。」
その後
兄からコールバック。
身体がだるく、父からの電話にも気づかず、
寝ていたらしい。
兄からの電話に父が、開口一言。
「助けてくれんか。
オレ、もう、無理ばい。
動けんごとなった。
長崎へ帰ってきてくれんかなぁ」
我が子に、助けてと 言える父。
潔くて
カッコいいと思った。
「身体、思い通りに動かせんでも
車は、運転でくっとやろ?
オレとお母さんとあっくんの
足になってくれんやろうか?」
父がそうやって兄へ正直になれたことは
兄が、兄本来の優しさに戻ること。
父が意地を張らず正直な姿を見せることは、
その姿を見た息子は、
意地を張らないで良いのだと学び、
正直な姿になる。
他人へ、頭を下げること。
「助けてほしい。」と言うこと。
ぜんぜん恥ずかしいことじゃない。
「助けて。」と言ったことがない人は
言ったことがないから、言い方を知らないだけ。
「助けて。」と
言っても良いってことを知らないだけ。
「助けて。」は
魔法の言葉だと思います。
一度でも、口に出せると
長年の苦しみから、
いとも簡単に解放されるのです。
人は人に助けられ、
支えあいながら、生きている。
人は、誰かを助けたいと
思いながら、生きている。
「助けて。」
自分が助けてもらうと同時に、
助けた相手を助ける言葉。
兄は、直ぐに上司へ連絡をし退職を申し出て
受理された。
兄は、無職になった。
地元を離れてから30年分。
服、家財、家電、道具、車も、
すべてを処分した。
身体ひとつで
生まれ育った長崎へ戻りました。
その後の電話で、兄は、私へ告げた。
「まーちゃん。
オレ、ずっと淋しかった。
ありがとうね。」
兄の言葉を聞いて、涙が出た。
助けてほしい。
苦しい。
淋しい。
そうやって
自分の心に正直に
嘘をつかずに生きる人の姿は、
ほんとうに、美しい。
真面目に勤労した結果
一般的な会社員の年収よりも
高かったであろう報酬を捨て
社会的地位を捨て
世間体を捨て
行動を起こした兄を、
心から、誇りに思う。
仕事なんて、どうにでもなるさ。
何とかなる。
何が一番だいじ?って
身体が一番大事やもん。
先ずは、健康な身体にならんばね。
ね、兄ちゃん。
神経痛の父。年金受給者。
認知症の母。年金受給者。
身体障がい者の弟。障害者年金受給者。
腎臓を患う兄。無職。
父が電話口で、
ゲラゲラ笑って言った。
「あはは!!笑うなぁ~
一人で生きられん人間ばっかり
ようまた、こげん集まったもんばい!!
先はどげんなるか、分からん。
よかよか!まぁ良かさ。
みんなで楽しゅうやろうで!」
まぁ、父は、いつもどおり
相 変わらずです。
父から悲観的な言葉を聞いたことは
1度もない。
誰に会っても
誰と居ても
言葉も行動も変わらない。
声がでかくて
思ったことを、そのまんま、口にする。
竹を割ったような性格で、
楽観的を絵にかいたような人だ。
そうそう。
そうでした。そうでした。
きっと両親は二人とも忘れているけれど、
今年は、二人の金婚式。
何故にこのタイミング???
天の粋な計らいに、身震いがしました。
天知る。
地知る。
己知る。
「私は心に正直に生きていますか?」
今日も、自分へ問いかけます。
「まーちゃん、元気?」
兄からの電話。
ここんとこ、毎日かかってくる電話(笑)
「昨日、肉じゃがば作ったっさ。
『美味しか~』って言うてくれたよ!」
母は、もう、短期記憶がほとんどない。
今話したことを話す鼻から忘れ、
壊れたレコードみたいに
ずっとずっと同じ事を言い続ける。
まともに家事がこなせない。
食事の支度が出来なくなった。
そういえば兄は、
料理することが好きで、
給食がない土曜日、母が不在の時には
小学校から帰宅した私へ、おやつに、
お好み焼きやホットケーキを
作ってくれたことがあったなあ、
なーんて、思い出しながら、
兄の話を聞いていた。
「料理するとは好きけどさぁ、片付けがねぇ…
苦手かとやもんね。(笑)」
「兄ちゃん!大丈夫よ!
食器洗浄機という選択があります!!」
「あーーー!ホント!そうね!
苦手な洗い物の時間に取られるより、
機械に任せて、その間にお母さん
お風呂に入れて、
背中ば流してあげようかな。」
やっぱり、優しい兄です。
今まで1度も聞いたことないほど、
明るく嬉しそうな声で、電話をしてきます。
幸せそうです。
無職だけど。
病気だけど。
笑っています。
スタッフあきちゃんが
「社長、お兄さん長崎へ帰られたんでしょ?
会いに行かないとね!
次はいつ帰省しますか??」
私の帰省休みを考えて、
スケジュールを組んでくださる。
頼もしいスタッフ。
心優しい皆さん。
ありがたいですね。
幸せです。
父の正直な一言で、
兄は、本来の優しい兄に戻りました。
人はいつでも、やり直せる。
そのためには
自分がどうしたいかを決め
自分でやると決めることだ。