彼と私の復活ストーリー~その3・新しい居場所づくり

コラム

history 2021年7月14日(水曜日)

実は、うすうす気が付いてはいた。小ゆびくんのカラダの変化のこと。

彼は、お散歩のときにも、自己主張してくるし、私の日々の暮らしにはもう欠かせない大切な存在になっていたから。

小ゆびくんが自立し、一緒に歩いている実感が、確かにあった。

(小ゆびくんの、次の居場所を、作ってあげなきゃな…)

だからその頃から、小ゆびくんがしっかり自立できる居場所づくりの準備を始めていた。

つまり、「靴づくり」だ。

靴は西洋生まれだから、西洋人の足と共に、歴史がある。

西洋人の靴の歴史を調べてみると、なんと!2000年前から靴を履いている。もちろん最初から靴だったわけではなくサンダルの形から派生している。

かたや日本人は、つい100年前まで、庶民の大半は屋外でも裸足で暮らしていた民族だ。今現在だって、家に上がる時は裸足になる。

古代ローマ人の足を観察してみても、どうも日本人の足とは様子が異なるのだ。

特に「小ゆび」が。

私はずっと、日本人をやっていて両親も祖父母も曾祖父母も日本人だ。もしかしたら知らないうちに大陸の血が混じっているかもしれないけれど、欧米人でないことは確か。

日本人だから、足をケアするのに、ドイツ式やアメリカ式を学んでも、やっぱりどうやってもしっくりこない。

私は私の足の気持ち良さ、快適さをずっと求めて様々な靴を試してきた。しかし西洋式で作られている靴はどの国の靴も、どのようなデザインの靴も、日本人の私の足へフィットさせようとするとやっぱり窮屈。

特に「小ゆび」が。(再)

(小ゆびくんの窮屈感は間違っていないはず。)私は私の感覚を信じるしかない。だって、この感覚は、これまでの人生の中で一度だって外れたことがないのだから。

あの日、小ゆびくんが永い眠りから目を覚まし、自分でカラダを起こし、自分で立てるまでになった。私の「外れない感覚」と共にある、小ゆびくんの感覚が「もう限界」というのなら、もう限界だ。

私はやっと目を覚ましてくれた小ゆびくんと一緒に、毎日を全くのストレスなしで思いっきり歩きたい。小ゆびくんには、思う存分にカラダを動かして欲しい。

そのための道具が、靴ではなく、下駄だったら、いとも簡単に叶うのは重々承知だ。

だけれども今の私の足は、もう手遅れで、下駄を履いているだけでは足りない。下駄では補えない。

外反母趾を診断されたときすでに、靭帯が緩んでしまった私の足は、その後の30年もの月日を、足が痛くて歩けなかったから足裏全体の筋肉がすっかり痩せてしまった。

筋肉くんや骨たちを束ねる靭帯が伸び切って緩んでしまった「超」が付くほどの開張足。一度伸びてしまった靭帯は、悲しいかな、その後二度と回復することはなく、どんなに筋肉を付けたとしても、靭帯は縮められない。私が私を自分で支えるには、靴の支えが必要で靴に頼る以外には、方法がない。

私と小ゆびくんは、明日へ向かって歩いている。

もうあの頃には戻りたくない。

だから、未来の足を考えて作らなきゃ。

(これからの未来、私と小ゆびくんに必要になる靴を、今のうちから準備をしておこう。)と。

(私が私を心の底から感動させられる靴を、自分で創ろう。)

そう決めた。

2021年6月。アシタスタイルのオリジナルスニーカー3度目の修正が終わり試着サンプルが上がってきた。

早速、足を入れてみて、小ゆびくんに訊ねる。

「小ゆびくん、どうかな? このスニーカー。」

「どれどれ? お!!! いい!!! ほら!こんなに立てるよ!」

シャキーーーン☆と起立している小ゆびくん、嬉しそうにキャッキャッとはしゃいでいる。

「まーちゃん。オレ、これなら本気出せるぜ♡

いよいよ本領発揮だな、フフッ」

「おーーーー!やったね!

じゃあ、みんなにも履いてもらうけん^^」

まずは海老原シスターズ・貴子&あき子へ。

「ヤッバーーーい♡ 社長、これ。いい♡」

二人ともニヤニヤしてる。

「うん。決まったね!」

私と私の小ゆびくん。
貴子と貴子の小ゆびくん。
あき子とあき子の小ゆびくん。

それぞれがハイタッチ&ガッツポーズをした。

2021年6月30日。

彼と私は、完全復活を遂げたのだった。(完)

彼と私の復活ストーリーは、これで終了です。

きっと皆さんがいちばん気なっているその後の小ゆびくんの新居(=アシタスタイル®オリジナルスニーカー)について、別記事で。


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