母が教えてくれた「認知症」という病気の正体③

連載記事です
母が教えてくれた「認知症」という病気の正体・①
母が教えてくれた「認知症」という病気の正体・②

 

お父さんへ。

 

2019/3/20 に、
お母さんを東京へ連れてきて
いま、4週間になろうとしています。

 

お母さんの変化と、現状を、
お伝えしますね。

 

 

最初の3日間、
私は、まず
お母さんの話を、聞き続けました。

 

 

当時のお母さんは
目は吊り上がり、
恐ろしい鬼の形相で、
暴言を吐き続けました。

 

怖い顔つきと、汚い言葉によって
繰り返される同じ話を

何百回も

3日3晩
全く否定せず、一切反論せず、
ただただ受け入れ、聞き続けました。

 

母を、承認し続けました。

 

 

その途中の2日目に
私の口から、お母さんへ
「アルツハイマー型 認知症」という
病気であることを、ちゃんと、告知しました。

✔️認知症には種類があること。
✔️お母さんの脳が委縮していること。
✔️お薬を処方されていること。
✔️アルツハイマー型の特徴。
✔️お年寄りに限らず若い年代の人でもかかる病であること。
✔️お母さんが、今、どのくらいの状態なのか?
✔️飲んでいるお薬の種類、役割について

など。

 

 

3日間、話を聞き続けて、

3日目の夜、

「お母さんは、どうしたいの?」
を、徹底的に聞きました。

 

 

正直なお母さんの気持ちが
もうすぐ出てきそうで

核心に触れそうなのに

「でも・・」「だって・・」
の言葉で
なかなか本音が出てこないから

 

「お父さんがどう思うか、じゃなく

お母さんは、

自分が本当はどう思い、

どうしたいかを、教えてほしいの」

と言いました。

 

そう尋ねても、やっぱり
お母さんからの答えは
「でも・・」「だって・・」になるから

 

「そっか。じゃあ、もうやめよう。

明日にしようか。

私、今からお風呂に入るね」と、

時計を見たら 23:45。

母を、私が普段寝ているベッドの部屋に連れて行き
「おやすみなさい」と、声をかけ、私はお風呂へ。

 

いつもより、長めに湯船に浸かり
ゆっくり体を緩めたりして
お風呂から上がって、

浴室の時計をみると 0:40。

 

母がいる部屋には、まだ灯りが点いたままで

部屋を覗いたら、

背中を丸めてうつむいて小さくなった母が
チョコンとベッドの淵に腰かけていました。

 

ビックリして

「お母さん!風邪ひくよ!

もしかして、私のこと、待ってたの?

ごめんね、

眠っててよかったのよ。

寒かったやろ?

さぁ、横になろうか」

そう言って
お布団で、身体を包みこんだら

堰を切ったように
ボロボロボロボロと涙を流し始めました。

 

絞り出すような声で

身体を震わせながら

必死に私へ訴えてきました。

 

「結婚してから、歯向かったこと、

なかとよ。

ほんとよ。

一度だって、口答えしたことなかとよ。

ほんとよ。

 

ずっと我慢してきたと。

ガミガミ怒鳴られても、
黙ってきたと。

 

耐えてきたとよ。

 

おしゃれもできんやった。

無駄遣いなんてしたことなかとよ。

自分のシャツ一枚も、
黙って買ったこと、ないとよ。

 

ずっと家に縛り付けられて

くくりつけられて

出かけたくても、
出かけられんやった。

 

おばあちゃんからは、
一度だって
昌子さんって名前で呼ばれたこと、ない。

ずっと、あんた、あんた、って
あんた呼ばわりされて

「あんたの世話になんかならん!」
って、いじわるばっかり言われ続けたとよ。

 

毎日毎日
ガミガミガミガミ

怒鳴られてきて

いじめられてきて

ずっと、ガマンしてきたと。

 

お父さんには、言えんやろ。

あの人に言い返すことなんて、できんやろ?

気性が荒くて、口答えなんかしたら
なんていわれるかわからん。

 

もう、よかさ。

私なんか。

 

死んでしまいたい。

山の奥の方に、ひとりで死にに、行くよ。」

 

 

そうやって、

泣きじゃくる母は

どんどん小さくなっていった。

 

 

小さくなっていく母を、

私はずっと

ぎゅっと抱きしめ続けた。

 

 

このまんま

どんどん小さくなっていって、

 

そのまんま、消えて

居なくなってしまうんじゃないか、

と思うほど、小さかった。

 

 

「お母さん、ツラかったね。 

哀しかったね。

ガマンしてきたね。

 

いっぱい泣いていいけんね。

私が、お母さんの気が済むまで

お母さんの話、ずっと聞くけん。

 

いいよ、ガマンせんでいいよ。

ぜーーんぶ、吐き出さんね。」

 

母の背中を擦りながら、私もボロボロ泣いた。

 

 

そういうと、お母さんは

『外に出たい』

『一人で自由に出かけたい』

って言いました。

 

 

この前、中学の時の同窓会に行けたことが、
よほど楽しかったみたいで、

同級生の人たちとの会話や

同級生の名前や

思い出話を何度もしてくれました。

 

同窓会のお誘いがあった時、

お父さんに
「行ってきてもいいかな」と尋ねたら

「行けばよかやっか!!」と

キツく言い放たれたと、

心を痛めていました。

 

 

ほんとうは

「お母さん、良かったね。

同窓会に誘ってもらえて良かったね。

声かけてもらえて嬉しいね。

楽しんでおいで!」

と、優しく、気持ちよく送り出して欲しかったと言いました。

 

だから、

せっかくの同窓会で、
二次会へのお誘いもあったそうですが

お父さんに気兼ねして、

行きたい気持ちを抑えて
一次会だけで帰ってきたそうです。

 

「最後の同窓会だったのに・・」と
何度も、何度も、悲しそうに繰り返し
私へ告げてくれました。

 

 

【お母さんの、切なる願い】

「おい!黒潮市場にいくぞ!」と
いきなり言われて
出かける支度をしていたら

「なんばぐずぐずしよっとか!!」

と、怒鳴られるのが、
とても怖いそうです。

 

せめて前日から

「明日は黒潮市場に行ってみようか?」と
予め教えてほしいそうです。 

心の準備が欲しいそうです。

 

 
予定を教えてもらっていても、

当日には忘れるかもしれないから

昨日と同じことでも
朝から同じように、
優しく告げてほしいそうです。

 

「今日は、黒潮市場に行ってみようと思うよ。
〇〇時くらいに、出かけるけんねー」と。

そして、出かける時に、ジャージでは嫌だそうです。

着替えて、髪をとかしたい。

せめて、口紅くらい付けさせてほしいです。

せっかくお父さんが
朝から入れてくれたコーヒーだから、
ゆっくり味わって飲みたいそうです。

コーヒーを飲み終わってから、
出かけたいそうです。

 

■様々な予定や行事について、あらかじめ話して欲しいそうです。
(お父さんにとっては、すでに決まっていて当たり前かもしれないけれど、今のお母さんに、記憶は期待しないでください。)

 

 

「こん鯵の、うまかごたんなぁ。
こいば刺身にせろ!」

そんな風な言われかたをすると、
「自分で包丁握って、自分でやってみろ!」
「作ってやるもんか!」
と思うそうです。

 

作ったのに、料理をしたのに
ごちそう様。
ありがとう。
美味しかった。
そんな一言がないことが、悲しいそうです。

 

市場で魚を買ったときも、

昔、お父さんの趣味で
釣りに行った後でも

魚を捌くのも、

クーラーボックスを掃除して
片付けるのも、

全部、お母さんがやるのが当たり前に
なっているのがおかしい。

お母さんがやるものだと
黙ってやらせられることに、腹が立つそうです。

 

お母さんは、
やりたくない訳じゃなく、
やらない訳でなく、
やりますが、

お刺身を食べたい。
料理をしてほしい。など
自分ができないことを
他人にやってもらうのであれば

「私は料理ができません。
だけど、お刺身が食べたいから、
料理して作ってもらえませんか?」と

相手へお願いするのが大人というものです。

そうやって頼んで、頭を下げて
相手が、自分の苦手を代わりにやってくれて
望みを叶えてくれたら

「ありがとう」
「助かったよ!」
「美味しかったよ」
「嬉しいです」
「ごちそうさまでした」

そうやってお礼を言うのが大人というものです。

 

黙ってやらせて、お願いもしない。
許可も得ない。
お礼も言わず、感謝もない。

なんて
させられる身になってみれば
想像ができるはずです。

 

アルツハイマー型認知症のこと、
ちゃんと、話して欲しかった、と言いました。

自分の病気のこと告げられずに、
いきなりクリニックへ連れて行かれて、

検査されたり、
テスト受けさせられたり、

薬の説明もされずに、飲まされ
不安でたまらなかったと言いました。
とても、混乱したそうです。

 

 

結婚してから、ずっと「かごの鳥」だった
と言いました。

 

一人で出かけることを
許してもらえなかった。
と言いました。

 

あっくんのクラスでPTAの役員に選ばれたとき
活動を通じて楽しかった、
生き甲斐を感じた、
もっと続けて居たかった、と言いました。

ほんとうは、あの頃、
手話を習いたいなぁと思って
お父さんに相談したけれど、

いい顔をされなかったから
それ以上話すのを止めた、
と言いました。

 

最近はたぶん、
ボケて、なにも分からなくなった人だと
思われているんだろうと言っていました。

話も聞いてもらえなくて
ガミガミ言われるばかりで
頭の中が、
ずっとパニック状態だったそうです。

 

 

余りにもツラくて
一人になりたかったから
外へ出かけて「帰るもんか!」と思い
時間を潰したことがあったと教えてくれました。
(これって、たぶん、お母さんがいなくなった行方が分からなくなった!と皆で捜索した話のことかな?中学校の上のグランドのところで一人ベンチに座っていたという話を聞いたことがありますが、そのことじゃないでしょうか?)

 

泣くだけ泣いて
言いたいことを全部私へ言って
全部吐き出したら
スッキリした顔をして、
「お母さん、寝ようか」と声を掛けたら
「うん。まーちゃん、ありがとうね」
と言って、眠りにつきました。

 

 

その日以降、少しずつ笑顔が出るようになって
その次の週には、家事を手伝ってくれるようになりました。

 

自分から、髪をとかすようになりました。
「お化粧したい」と言いました。

 

 

会社へ、毎日、母連れで一緒に移動します。
8,000歩は最低でも歩いています。

膝が痛くて堪らないけれど
歩かずにいて、歩けなくなるのが嫌だと言い

痛くても歩くと頭も体もスッキリするから
歩きたい!!と言っています。

次の週は、自発的に、
自分で身支度するようになりました。

自分で服を着替えるようになりました。

 

私がやろうとして
置いたままのシンクの中の食器は、
洗って、磨いて、ピカピカに

洗い終わった洗濯ものを、
かごに入れて置いておいたら
いつの間にか干しておいてくれる。

取り込んだ洗濯物は、何も言わないのに
畳んでくれるようになりました。

 

母ができることは
確実に、少しずつ、減っていて

それでも
自分ができそうなこと、
得意なことは、
進んで手伝ってくれる。

 

私は、母に対して、
期待せずに一緒に過ごしているから

期待しない分

できないからと言って、
腹が立つこともありません。

 

 

お母さんの話は、
同じことばかりの繰り返しだけれど
話に広がりを見せています。

日によって、
内容が変わるようになりました。

 

会社では、毎日、計算ドリルをやっています。

それから
会社で行う単純作業を
手伝ってもらったりしていますが、
明らかにミスが減ってきて
学習能力が向上しています。

計算ドリルは、日に日にスピードアップしています。

 

お母さんは、認知症だけれど
理解していないわけではありません。

 

ちゃんとわかっていて

人格も、尊厳もある、一人の女性です。

 

ただ、短期記憶が怪しくなっていて。
それでも、
同じ話を何度も繰り返していることも、
自覚して行っています。

 

同じ話を繰り返してしまうのは

小さな世界で、
限られた情報の中だけで
生きてきたからです。

 

もう、その話しか、ネタがないんです。

 

他に話せる話題が、ないの。

 

だから、

こちらから話題を作ったり
質問したりすれば
当たり前の返答が返ってくるし
会話が成立するのです。

 

お母さんが話したいことは

・ムカついたこと
・腹が立ったこと
・イライラが解消できないこと

・褒められたこと
・評価されたこと
・嬉しかったこと

 

つまり、私たちとおんなじで、
正常な脳で、感じているのと同じ。

 

認知症じゃない人が感じていることと、おんなじだよ。

 

 

 

 

 

お父さん。

お願いがあります。

 

以前、お母さんと、お父さんが
交わしたであろう約束。

お母さんを幸せにする約束
思い出してほしいの。

 

昌子さんに初めて会った日のことを
思い出してほしい。

 

二人でデートした日のことを
思い出してほしい。

 

結婚式を挙げて
神様の前で誓った約束を
思い出してほしいです。

 

お父さんは、
お母さんを幸せにする約束をしたはずなんだけれど、
いま、果たせているのかな?って思っています。

 

 

今のお母さんを見ていると、
あまり幸せそうには見えません。

 

とてもツラそうで

とても苦しそうで

とても悲しそうで

とても淋しそうで

たくさんたくさんガマンをしています。

 

お父さんの話をするときには

目に涙をいっぱい溜めて

ときどき、泣きながら、話をします。

 

怖いそうです。
お父さんのことが、怖いんだって。

優しい声が、良いそうです。

結婚したばかりのころは、
優しい声だったと言っています。

 

無視しないでほしいそうです。

たくさん声をかけてほしいそうです。

別に買い物しなくていいから
ウィンドウショッピングしたいそうです。

おしゃれしたいそうです。

お化粧したいそうです。

新しい下着を買いたいそうです。

 

そんな風に言うんだけどね、
私がお母さんの爪に塗った
マニキュアを見ながら、いうの。

「お父さんがこんなの見たら、なんていうやろうか?
『わい!なんやそいは!なんばしよっとか!』
って怒られるよ」

 

お化粧したお母さんに
「お母さん、かわいいねー」というと
「お父さんが、口紅なんて付けてる今の
この顔見たら『どこに行くとか?!』
って怒られるよ」と言います。

お父さんが、どういうかばかりを気にします。

 

結婚した時から、ずっと
怖くて、ビクビクしていたそうです。

ガミガミ言われることがツラくて
あきらおじちゃんには相談に行っていたそうです。

他には、誰にも言えなかったからって。

あきらおじちゃんは、
「昌ちゃん、黙っとかんね。ガマン、ガマン」
というから、耐えていたそうです。

 

愚痴りたくても言えず、

気晴らしすることもできず、

おばあちゃんからも、
小姑たちからもいじめられ、

友達を作ることもなく、
趣味も持たず、
出かけることも許されず、

お母さんのこれまでの一生は、
お父さんに、子どもに、と、
家族のためだけに生きてきた人生だと思います。

 

だから、あっくんが、支えなんだよ。

 

あっくんは、
「おかあさん、ありがとう」
「おかあさんのご飯、美味しいね」
って、言います。

歩けない身体で生まれて
人に助けてもらわなきゃだから

どんなに年齢を重ねても、
素直な心で、いつも
周りとも、お母さんとも、関わっているからです。

 

 

お母さんは、

妻である前に

母である前に、

一人の女性です。

 

お母さんは、
メンタル(心)も、
フィジカル(肉体)も、
すごく強いから、
ここまで我慢ができたのだと思います。

 

「おしん」そのまんまの世界。

 

お母さんが強いられた状況を、
普通の人がやれば、
たぶん「うつ」になるか
皇后雅子様が患った「適応障害」など
心の病気になります。

 

心が、ケガをしているの。

 

お母さんは、我慢の限界を迎えて
長く続く緊張によるストレスから
脳が委縮したんだと思います。

 

「うつ」になる代わりに、
認知症という病気を選んだんだと思います。

 

 

お父さんに、構って欲しくて。

お父さんに、大切に扱って欲しくて。

お父さんに、尽くして欲しくて。

お父さんに、忘れられたくなくて。

 

 

認知症は、
他人に尽くした人が、尽くされる病気。

 

 

お母さんは、お父さんの所有物じゃない。

お父さんのストレスのはけ口じゃない。

面倒くさいことを全部やってくれる便利な人じゃない。

お手伝いさんじゃないよ。

ママでもないよ。

お父さんが、愛した大切な女性だよ。

代わりはいないよ。

 

 

私は、お母さんに、

お母さんの人生の時間を
自分のために生きてほしいと思います。

 

 

お父さんは、どう、思う?

 

 

いま、兄ちゃんが家のこと
全部やってくれていると思います。

兄ちゃんを、お母さんの二の舞にしないでね。

兄ちゃんを、どうか尊重してください。

兄ちゃんは優しいから、
お母さんと同じように
「自分が我慢すれば丸く収まるから」と
自己主張せずに、
すべてを受け入れる人です。

 

喧嘩したり、争いごとを好まない
平和な優しい世界の人です。

 

兄ちゃんが、今のままのお父さんと
一緒に暮らし続けたら
いつか「うつ」になります。

 

そういう人を、たくさん見てきました。

 

 

お父さん、お願い。

 

お母さんに、安心、安全を
感じさせてほしいです。

 

お母さんを束縛から解放してください。

 

お母さんの幸せを一緒に考えてほしいです。

 

お母さんの記憶が消えていくのを
一日でも長く食い止めていたいです。

 

お母さんの命の火が消える日まで
私たちのことを、覚えていてほしい。

 

 

そのためには、お父さんの力が必要なの。

お父さん、助けてください。

 

どうかよろしくお願いします。

 

大好きなお父さんへ。

2019/4/16 雅恵より

 

追伸。

あっくんが施設でいじめられて
「死ね」とか「植物人間になれ」とか
言われていたこと
お母さん、心配していました。

 

お父さんが、所長へ直訴しに行ってくれたこと
私から伝えたら、とても安心していました。

ありがとうございます。

 

お母さんは、日に日に
少しずつ、落ち着きを取り戻しています。

会える日を楽しみに待っていてね。