母が教えてくれた「認知症」という病気の正体②

こちらの記事の続きです
母が教えてくれた「認知症」という病気の正体・①

 

井手口です。

 

母は、東京に来てからというもの、ずっと眠りこけています。

 

放っておくと、昼でも、夜でも、何時間でも眠っています。

 

目覚めて、第一声が

「あ~♪ ぐっすり眠ってた!

オシッコにも起きなかった!

ありがとうね~♪」

 

 

母が父と連れ添って50年。

もしかしたら母は、ぐっすりと熟睡できた日が、たったの一度もなかったのかものかもしれません。

 

父のイビキは強烈で、鼻でかくイビキだから、どんな寝姿勢でもイビキをかく。

騒音に近い。

 

父本人も、とても気にしていて、治す努力をしてみたらしいのだけれど、治そうにも治せなかった話を聞いたことがあります。

 

眠れないからお酒を飲む。

入眠はできるが、肉体は興奮状態だから、眠りは浅いまま。

 

父自身が、きっとずっと、熟睡できてはいないのです。

 

 

 

誰にも邪魔されず、静かな環境で

安心、安全を手に入れた母は、

今までの不眠を取り戻すかのように

ここぞ!とばかりに

眠りこけています。

 

 

お薬の影響も多少はあるかもしれませんが、それにしても、です。

 

母の脳も、父本人の脳も、完全に休まることがなくて来ているから

睡眠の改善は必要だなと思っています。

 

最近、アシタスタイルの活動を通じて耳にするのは、

「睡眠学」という新しい分野で、自律神経の切り替えを促すウェアや、着物が、肉体を緩ませる方法など、

 

締めるべきところを締め

緩ませるところは緩ませる

【本来あるべき姿へ】

アプローチする方が増えてきているのを目の当たりにすると、今後のアシタスタイルの展開も楽しみです。

 

おっと、逸れましたね

話を戻しますと、

 

愛知にいる妹へ、現状報告。
情報を共有し
その後、父へ電話をしました。

父の睡眠の質を上げる必要性を感じ、父にさまざまな方法の提案をしようとしていたら、

言われたくないことを言われたからなのか

「そげんうるさかとなら、オイが寝るときに、車の中で寝ればよかとやろうが!」とキレられた。

 

 

うーーーー

そういう話をしたいのではないのですが…

 

これじゃあ、話にならない。

 

 

 

話している途中で、電話を切られた。

私は、そんな父の大人げない態度に、ブチキレ

「あーー!!もう!!ムカつく!」
と言っていたら

 

「まーちゃん。腹が立つだけよ。

お父さんに言っても、ムダムダ~」

と、母に、なだめられる始末。

 

 

お話にならないから

父の娘になって50年目に、

父へ、手紙を書きました。

 

ぜんぶで便箋23枚。

 

———————- 

お父さん。

その後、体調はいかがですか?

 

先日の電話では、

気分を害するようなこと
告げてしまって、

申し訳なく思っています。

ほんとうに、ごめんなさい。

 

体調が優れないときに、
娘なんかに言われたくなかったよね。

 

お父さんは、

いつもBESTを尽くしていること

家族のことを一番に思っていること

一生懸命でいてくれること

 

私がうっかり、

忘れてしまったせいです。

 

深く反省をしています。

 

 

話すと感情的になってしまったり
解釈の違いが生じたまま
擦り合わせがなされないままに
お互いの思いだけが空回りします。

 

事実が明確にならず

気持ちがすれ違ったまま

話が決裂したままでは、

なかなか前に進めないので

手紙に書くことにしました。

 

 

まず初めに伝えたいこと。

私は、

お父さんと、

喧嘩をしたくはありません。

 

お互いを

責め合ったりしたいのではありません。

 

私は、お父さんと、

話し合いがしたいです。

 

お互いが思っていることを
ちゃんと理解し合い
コミュニケーションを図りたいです。

 

これは、私だけじゃなく、

母も、兄弟姉妹みんなが

同様に感じているはずです。

 

この苦しみをみんなで解決して
幸せになるために

みんなが笑顔で過ごすには
どうしたらいいか話し合いたいです。

 

 

お父さんは、

この前の電話で「自分が口下手である」ことを自覚していたよね。

実は

口下手なのは、お父さんだけじゃなく、私も同じです。

 

そして、

うちは家族全員が、そうです。

というのも、
そのような脳の特徴を持っているからです。
(脳の特徴は、顔の造り、顔立ちに現れます。うちの家族は全員、言葉が足りない口下手の脳の特徴をしているの。この話は長くなるので、なぜそうなのかは、改めて別の機会に教えますね)

 

 

私も、喋ることが苦手です。

だけど、

それじゃ生活ができないし、

言葉が足りないことで

他人様を傷つけたり、

ご迷惑をおかけするから

一生懸命、言葉の練習を重ねました。
  

 

Kさんとお付き合いを始めたくらいから日記をつけて、

頭の中を整理したり

文字を書き出すことによって
自分の思考を目で見て確認しました。

 

だから、喋るよりも
書く方が、ストレスがありません。

 

 

さて

お母さんの認知症は、たぶん
(私の憶測でしかないですが)
おばあちゃんが亡くなって、

おじいちゃんをひとりで

置いておけず、

うちへ連れてきたあたりから、

すでに、

初期症状が出ていたと思います。

 

あの頃の私は、

「あぁ。

お母さんも、ようやく、

自分が思っていることを

口に出せるようになったんだなー

愚痴がこぼせるようになって、

良かったなぁ」

その程度にしか、感じていませんでした。

 

いま、改めて振り返ると

それまで以前のお母さんは、

いつも穏やかで、優しくて、

明るくて、笑っていて、

お父さんに対して

反抗的な態度なんて
一度も見せたことがなかったから。

 

認知症の初期症状の特徴の一つ。
「性格の変化」です。

人格が変わってしまったかのように
暴言を吐くことや
厳しい顔つきに変わっていたからね。

 

あの頃は私も、

実家を離れたタイミングだったし

もし、あの時、

まだ実家を離れずにいたなら

もう少し早めに、

お母さんの変化に

気が付けたのかもしれないな。。。


後悔しても仕方がありませんが、
思い返したりもします。

 

とはいえ、

過去に戻ることもできませんし

今、できる限りの精一杯で、

これから
どうしていくのかを考えていきたいです。

家族みんなで、一緒に。

 

 

1年前に、お父さんが、

兄ちゃんへ電話してくれて

兄ちゃんに帰ってきてほしいこと

お願いして

兄ちゃんが長崎に戻ってきてくれてくれたこと
本当に嬉しかったです。

 

心の底から感謝をしています。

ありがとう、お父さん。

 

 

兄ちゃんも、

ゴールの見えない病気の身体では

毎日しんどいし

相談したり、寄り添ってくれる人もいないところで
ずいぶん寂しかったと思います。

 

自分から家を出ることを決めた手前、
プライドもあるし
増してや、30年務めた会社を辞めるなんて、
なかなかできることじゃないと思います。

兄ちゃんは、「帰って来て、オレを助けてくれ」そうやってお父さんが言ってくれたから
素直になれたんだと思います。

 

時々、兄ちゃんに電話して
「体調どう?元気?」って尋ねると

「うん。まぁまぁかな。

毎日笑っとるよ。

みんなとたくさん話せて楽しいし、

嬉しい」

って言っていました。

 

 

19歳~49歳まで離れていて、
なかなかできなかった

男同士・大人同士の話、

ようやく、時間を取り戻せるのかなぁ・・・なんて。女の私には想像ができないけれど。

 

難病になって、会社の人たちからも、
友人たちからも敬遠されていた兄ちゃんにとって
実家へ帰ることができた喜びも、また、私には計り知れません。

 

お父さんだから、わかること。

長男同士だから分かり合えること

二人でたくさん話せているといいなぁと思っています。

 

 

私の方は、東京で、時々てっちゃんと会っています。

 

てっちゃんも、私も、大人だしね
てっちゃん、子ども二人いるし
仕事も代表だし、

相変わらず、てっちゃんは

責任感が強くて

ますます真っ直ぐで

正直だなと思います。

 

お母さん、東京へ来てから
てっちゃんに会いに連れて行きました。(私の歯をてっちゃんに作ってもらっているところなので、その度に情報交換したり、私の仕事のことも知ってくれています)
そうそう。

二人で飲みに行くこともあります。

 

 

お母さんに
「てっちゃんのところへ行くけど、
お母さんも来る?」って聞いたら
「てっちゃんに会いたい」と言ったので
てっちゃんのラボへ、一緒に行ったよ。

 

てっちゃんを

養子に出してしまったことをずっと

お母さんは負い目に感じていて

てっちゃんから恨まれていると

思っていたと、てっちゃん本人にに話していたんだけど

てっちゃんは、

自分が親になってみて

自分が産んだ子を100日目で、よそに出すなど、お母さんがどんな思いだったか理解できるから、と

「オレが幸せになればいいとやけん。

オレの姿ば見れば、

親たちは嬉しかやろうし

喜んでくれるって思うけんさ。

一生懸命、仕事して、

オレの生き方で

証明しようって思うばい。」

そんな風に言いました。

 

私たち以上に、

うちのことを考えてくれている

自分の親だけでなく、

パートナーの親のことも

親戚全員のことも、同じように

大切に考えてくれているのが、
てっちゃんだと思います。

 

 

おとうさん、あのね

てっちゃんは近頃、私のことを
「姉ちゃん」と

呼んでくれるようになったよ。

最初は、

「まーちゃんのこと、姉ちゃんって呼んでよか?」
って

照れくさそうに私に聞いたけど、

もちろん!!!つて

即答したよね!!

嬉しかったです。

 

 お母さんが負い目に感じていることは、もうひとつあって

歩けない身体で生まれた

あっくんのこと。

 

負い目があるから

言いたくても、言えなかった。 

 

ずっとガマンをしていました。

 

 

では、

そろそろ、本題へ。

 

これからは、お母さんの話です。

 

つづく