母が教えてくれた認知症という病気の正体⑤決めた母

連載記事です
母が教えてくれた認知症という病気の正体①緊急事態発生
母が教えてくれた認知症という病気の正体②父への手紙
母が教えてくれた認知症という病気の正体③母の願い
母が教えてくれた認知症という病気の正体④父から電話

 

////////////////////////////////////////

 

父から電話があったことを、母へ、報告。

 

「お母さん。

私、先週、お父さんに手紙ば出したよって、
教えたと、覚えとる?

お父さんから、手紙読んだよ、って
さっき、電話かかってきたよ。」

 

「ふーーん。そう。

なんて言いよったね?」

 

「うん。反省しとるみたい。」

 

「ふーーーん。まーちゃんが言うけん
言うこと聞いとるだけじゃないと?」

 

相変わらずの険しい表情。

父のことを話すときは、鬼婆になる。。

 

父へ対しての信頼も、
相変わらず、崩壊したまま。。。

 

 

東京へ来てから、何度か母へ
「家に電話してみる?」と尋ねてみるが

強烈に嫌な顔をして拒絶。
「いや!話したくない」の一点張りでしたし

父からの前向きな電話報告すらも、
こんな感じじゃ無理だなぁ~・・と思い、
母から実家へ連絡することは、
一切を遮断しました。

 

 

 

さて、と。

そろそろ、始めますよ。

 

 

ココからは

ママのマインド改革 のお話です。

 

 

「ねぇ、お母さん。

お父さんてさ、あんな感じの人やし
しかも、あの性格で77年も生きてきとるけん

そう簡単には、変わらんって思うとさ。

 

お母さんはさ、

「外に出たい」

「自由になりたい」

って、お母さんの願い、私に、教えてくれたよね?

 

外に出たいなら、自由に自分の好きなところに行きたいなら

歩ける足にせんば、
無理って思うとけど、どうする?

 

膝の痛い、今のまんまじゃ、

一人では出かけられんって思う。

出かけても、楽しくないって思うけど、どう?

 

私、以前に、お母さんの膝の痛み取り除いたことあるでしょう?
覚えとる?

 

私は、お母さんに、
歩けるようになる方法、教えられるし

痛みを取り除ける方法、知っとるし

お母さんがやるって言うなら、付き合うけど、

お母さん、どうしたい?」

 

 

母は、私の方を真っ直ぐ見て、言いました。

 

「うん。歩けるようになりたい!

毎日歩く練習する!

まーちゃんと一緒に、毎日歩く!」

 

 

「よし!うん、わかった!

私、仕事に行かんばし、
わざわざ歩く時間って取れんけん

一緒に会社に通勤しようか。

 

私、一日最低 6,000歩、歩くけん
一緒に移動しよったら、自然と歩くよ。

東京は、とにかく、歩く場所やけんね!

痛かったら、途中で休めばいいし、

痛みを取り除くストレッチも教えるけん。」

 

「はい!よろしくお願いします。」

母は、私に向かって、
丁寧にお辞儀をしました。

 

———————-

 

 

目標達成に必要なのは

・目標を決めること。

・自分でやると決めること。

・決めたら、ただ、ひたすら続けること。

 

これだけだ。

 

四の五の言わずに、

やりたいことがあれば
やると決めて、
やり続ければいい。

 

 

 

これまで

母にとっての最大の問題は

自分一人で決めることを、

たったの一度も、経験して来ていないことでした。

 

 

母の、過去の思考パターンは

すべての物事を
必ず、
父へ相談し、
父へ許可をとり、
父へ判断を委ねてきた。

 

 

そんな母が、

「東京へ行きたい」と自ら口に出し、行動した。

 

そして

「自由になりたい」
「歩けるようになりたい」と目標を定めた。

 

そして、

それを、自分でやると、決めたのだ。

 

 

 

母にとって、

大きな、

大きな、第一歩

なんと

すでにクリア!

 

 

目標を達成できない人は、総じて、

決められない人です。

 

 

母は、

自分の意思で、決めた。

 

 

この時、私は心の中で、密かにガッツポーズをとっていました。

 

決めた人は、

叶えるからです

 

  ———————-

 

では、

母が決められる人になるために
ここへ至るまでに行った
私の関わり合い方をご紹介します。

 

ちいさなこともすべて、
母の選択は、母自身に委ね、
母自身で決定することをやり続けました。

 

例えば、

「お母さん、何、飲みたい?
お水、緑茶、コーヒー、紅茶、どれがいい?」

「まーちゃんが、飲むのと一緒でいいよ。」

「ううん、私じゃなくて、お母さんよ。
お母さんが、今飲みたいものを教えて。」

「うーーん。。。(考える)
コーヒーが飲みたいな。
コーヒーを頂きたいです。」

「OK!
じゃぁ、お母さんにはコーヒー淹れるね。
私は緑茶を頂きますから。」

 

 

「お母さん、今日のヨーグルト、どれにする?

桃、いちぢく、アロエ、ミックスフルーツ、プレーン、ブルーベリー、」

ぜーんぶをテーブルに並べて

母、本人に選ばせる。

 

 

そんなことの、積み重ね。

 

 

 

何でもないような、

そんな小さなことも

きっと、母は、ずっと

他人に合わせて

他人に譲り

自分を後回しにしてきたのだ。

 

 

「お母さんはね、これからは
自分をゴキゲンにすればいいとよ。

お母さんが好きなもの、

お母さんがやりたいこと、

お母さんが食べたいもの、

今まで我慢してきた分、

今から、ぜーーーーんぶ、叶えるけんね!」

 

「ありがとうね。

まーちゃんに、お世話になるばっかりで、

お母さん、何にも出来んで、ごめんね。」

 

「なんば言いよるとね。

私は50年間、ずっと
お母さんにお世話になりっぱなしよ。

私も大人になったとやけん
お母さんも、そろそろ、私に甘えてくださいねー

人は一人では生きて行けんもん。

みんなで助け合って生きて行こうよ。

 

困っている人を見たら助けてね。って
人には親切にしなさい。って、

教えてくれたのはお母さんよ。」

 

そうやって話していると

かつてはいつも笑顔で
優しく声をかけてくれた
昔の母の姿が自然と浮かんできて

 

でも

目の前には

そんな面影の欠片もないほど

かけ離れてしまったの母の形相とのギャップ。

 

 

わかっているつもりでも

期待しないと言いながらも

なかなか現実を受け入れられない自分に気付き、ボロボロと涙があふれてきた。

 

 

どんなにおめかしをしても
どんなにオシャレをしても
目の前にいる表情がない人は、
私が知る母ではなかった。

 

———————-

 

若いころは、ほんとうによく歩いていた母でした。

歩けない身体で産まれた息子に必要と感じ
40歳で自動車免許を取る決意をし、
ありえないほどの集中力で
短期間で習得した。

来る日も来る日も、弟と、父の、送り迎え。

一人暮らしになった祖父を引き取り
祖父が施設へ入って以降も、毎日車で移動。

私も、何かの時は、
いつも母が送り迎えをしてくれ

自宅と家族の関わり合いのいろんな場所とを、1日に何往復もしていた。

 

認知症が診断され
自動車運転免許返却する数年前まで、
車移動ばかりで、ほぼ歩いていませんでした。

 

12~13年前に膝を痛めてからは
痛みをかばいながら、歩いていました。

6年ほど前から杖を使うようになっていた。

 

 

長崎では、ほぼ引きこもっていた母が

東京滞在中の2ヶ月間、毎日、毎日
6,000歩以上を歩き続けた。

 

多い時では10,000歩以上、
膝の痛みを抱えながら、

「痛い」「痛い」と弱音を吐きましたが、

 

そのたびに

「お母さん。

長いこと歩いてなかったけん、筋肉も少なくて、関節にスゴく負担がかかると。

筋肉が増えるまで、もう少しの辛抱よ。

 

がんばれ。

がんばれ。

 

あっくんは、この痛みば、
毎日1時間続けよるとよ。

お母さんの認知症が分かってから
毎日、訓練、リハビリしよるよ。

あっくんもがんばりよるけん、
お母さんもがんばろうね。」

 

そうやって声をかけて、
母の生き甲斐である弟の姿をイメージさせ

母のモチベーションを保ち続けた。

 

 

そうするうちに、

次から次へと、さまざまな変化が起こりはじめました。

 

言葉を正確に述べると

母自身が、自分で奇跡を起こし始めました。

 

つづく。⇒ 母が教えてくれた認知症という病気の正体⑥歩くことは生きること